「地獄の沙汰も金次第」という妙に真理を突いた言葉があるので、「そんなことはない」などと正義漢ぶったところで真実は曲げられない。確かに金次第だという声が多くを占めるし、そもそも真実とは何かを多数だとか少数だとかで判断すべきものではないという言葉も聞こえてくる。そこに「有料老人ホーム」が登場する。
そもそも有料老人ホームとは、ウィキペディアによると「老人福祉法第29条に規定された高齢者向けの生活施設である。」となっており、概要での説明に「生活サービスを提供することを目的とした施設で老人福祉施設でないものをいう。」となっている。つまり、「老人デイサービスセンター、老人短期入所施設、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、老人福祉センター、老人介護支援センター」以外の高齢者サービス施設ということになる。
どうも、公的役割と私的役割を区分するのに用いている法律のようであるが、日常的な生活支援サービスの多くは公的にサービスして、日常的な生活や居住の確保は私的に行うことの区分のようだ。日本では医療保険と介護保険、そして福祉施策としての公的支援の他は自力で守るしかないと言う判断になるのが基本。意外と通り一遍な施策しかないなと言う感想だが、確かに福祉というのは底抜けだから、どこまでやれば良いのかという限界論に陥りやすい。生活保護と年金とのギャップなど、分かり易い事例も出てきて、年金が減らされる議論は素早く取り上げられているようだ。
さて、有料老人ホームのニーズだが、自主的に選んで入居するケースと、家族の都合で入居させる場合に分けられそうだが、自主的に選ぶ方は、経済的なバランスの上で生活基盤の安心を得て、日常的に積極的な生活を送ることに意義を抱いて入居を選択する。しかし家族に圧されて入居する場合は、厄介者を追いやるが如き事態も加わって、なかなか難しいニーズも背景にあるだろう。
という風に考えてみると、自主的な入居は自らの生活に対して希望を持って入居するというケースが生まれ、入居の基準として利便性、快適性、機能性、経済性などの評価を加えた選択となり、自ずと全国から選別されて評価の高い地域に集中するという市場が生まれるはず。だからそこには有料老人ホームが集まってくる。ということはその地域に居住している高齢者の数よりも、人気のあるところには数多くの有料老人ホームが提供されていなくては外部からの入居は耐えられないから、比較的老人ホームの数は多くなる。
そこで、結論的に見ると、大分県がダントツだが、これは温泉か?と思う。温泉付きの有料老人ホームならば、多少、生活拠点が移動しても友人を呼んだりも出来そうだという思いも走る。人間、体力が弱ってくると、最後には健康維持が生きる希望になる。毎日、朝夕の温泉三昧。「朝寝朝湯朝酒が大好き」な「小原庄助さん」に成りそうだが、あれは会津磐梯山の麓の話。日本人だから、やっぱり温泉が良いなぁ?。
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