2012年6月アーカイブ

先週、桐生市に出かけて住宅課の担当者などと今後の展開について打ち合わせをしてきました。いよいよ「桐生市住宅マスタープラン(2011?2020)」の実施計画の始まりです。平成22年度に私達も加わり桐生市の今後の住まいのあり方について、桐生市の現状を踏まえた都市経営の一つの方法として、桐生市にある利用されなくなった市営住宅の用地を活用したコーポラティブ住宅事業を展開しようという試みを市の計画として報告書にまとめました。そして、その全容を市民の意見を取り入れつつ市のホームページに掲載し1年余り公開して、いよいよそのアクションプランを実行する段階に入っていくことになりました。

桐生市は伝統のある懐かしさを彷彿とさせる市街地を持つ都市です。東京から電車でも自動車でも2時間余りで行ける関東平野の縁にあります。古くから織物の街として周辺の養蚕農家から集まる絹糸を紡ぎ、織物の街として関東一円にその名を馳せた歴史があります。ノコギリ屋根の工場は新たに息吹を得てカフェや展示館、オフィスなどに姿を変えて利用されている他、大きな町家は再生されてシェアハウスなどの利用にも用途が広がっている状況があります。様々なNPOやまちづくり運動が進んでいて、街は活気を育てつつ、現代のニーズに溶けこむように変貌しつつある段階にあります。

そんな桐生市に住みたいという人をこれから集めます。都市と地方の住まいの連携がこれから始まります。桐生地域には様々な特徴を持つ街があります。少し東京寄りになりますが、同じ様に関東平野の縁にならぶ足利市や佐野市は、やはり古い文化のある街。こうした歴史が人々を育ててきたし、ふるさとと呼べる街としてこれからの日本社会を支える街になると思います。その中の桐生市のあり方が問われているような気もしています。

思えば、ニクソンショックにより日本の絹文化が壊滅して40年を経ました。その間、桐生市の存在は一挙に産業の中核から再編を余儀なくされ、市街地は勢いをなくして人口も減少し続けてきました。しかし、40年前といえば、大都市に団塊世代を中心とした労働者が挙って集中した時代です。そうした世代がグローバルな活躍をして定年を迎え、子育てから解放され大都市生活から解放される時期に差し掛かっています。

すでに人々は郊外を求めて動き始めています。ある人は登山に通い、ある人は山荘を作り、ある人は田舎家での生活を始めています。桐生市内でもこうした大都市からの転入者を受け入れるための施策を講じ始めています。そして、今回のプロジェクトも加わり、さらに一歩進めたコミュニティの醸成プログラムになります。大都市での生活を経験した人々が共に情報を共有して、地方で地域と溶け込んで住まうという仕組みを支援する事業になります。住まいづくりと言うよりもコミュニティ作りという方が正しいかもしれません。まずは仲間集めから始めるプロジェクトがスタートします。

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桐生市の伝統家屋の一つ

空き家が増え始めたワンルームマンションや賃貸マンションを「安気な住まい」に変えようというプロジェクトを薦めている。そろそろ余り始めた賃貸マンションの次なる利用に家主も考え始めたようだ。何しろ多摩市の民間賃貸住宅の急速な空き家発生に穏やかではないはず。とりわけワンルームマンションに空きが集中していて、市場価格帯も崩れてきた。

一方、高齢者の数は増えている。それも単身高齢者が増加している。孤独死の発生、生活保護の増加、年金生活でぎりぎりの生活が続く中、福祉や医療の公的負担が増加する。そして同時に現役世代の社会参加が増えていく中で共働き世帯の増加、それに伴う子育て共働き世帯(デュークス)の増加、さらに離婚率の増加やシングルマザーの増加で、ひとり親世帯が増え続けている。子育てや日常生活の困難さも毎日のこと、日常的な生活支援が求められている人々は増えている。

今回のプロジェクトは、こうした世帯を纏めてマッチング事業としてしまおうというもので。新たなコミュニティを形成するために既存の賃貸マンションを改造して、高齢者や子供達の健康を改善すると共に、経済の地域循環を含んで廻してやろうという試みだ。いわば「ひと・もの・かね」のトータルなマネジメントを行おうという大それた考え方がベースにある。

これまでの賃貸マンション経営は、孤立した住戸の提供であった。独り身が多くなれば、その為の支払可能で何とか生活が保てる大きさの住宅を提供すれば、数の増える需要に対応して行けた。また、子育て世帯向けにも、持ち家取得までの間を過ごす程度の住宅規模で、せいぜい子供の安全を考えてセキュリティに留意する程度で済んだ。それに高齢者の居住に対しては、孤独死などの関係もあり、余り積極的になれなかった時期もあった。しかし、今は住宅が余り始めた。時代は高齢者の入居を拒む時代ではなくなった。

そこで、新たな住まい方の提案を求められていることに対して、コミュニティと経済的な仕組みを組み合わせた第3の賃貸マンション経営が求められている。高齢者に対しては孤独死をさせない仕組みの住まい。子育て世代に対しては、子育て支援のある住まい。そしてこうした居住についてのコストを地域の関わりによって循環させていこうという取り組みである。そこには世代のミックスが基本になり、経済循環の仕組みも子育て世帯と高齢者が役割分担できる環境が必要になる。さらに生活環境として永住できる建物や外部環境が基本にあり。それを運営する仕組みが導入できることが欠かせない。

なんだか抽象的な話になってきたが、要は、?外断熱建物で結露もなくカビも生えず、高齢者も子育て世帯も健康を維持できること。そして?高齢者が子育てを支援して、費用を高齢者に支払うこと。?単身世帯の居住スタイルを集まって住むスタイルに変えること。である。それによって世の中の問題が一挙に解決するのだと考えている。

住宅は住み手が居なくても維持管理費がかかる資産である。固定資産税のみならず定期的な修繕は欠かせない。だから空き家で維持することは不経済きわまりない。なのに地方には住み手の居なくなった住宅が急速に増えている。

3年前青森県の北部、外が浜町に仕事で調査に出かけた。漁村と農村の共存する町だが、次第に人口減少が続いていて2005年平成の大合併で 蟹田町、 平舘村、 三厩村が合併 して誕生した。地方都市は持ち家率の高い土地柄である。その中でも分家やUターンなどで求められる公営住宅を建設していたので、見るからに現代的な立派な公営住宅もある。国からの補助施策に応じての建て替え事業が継続して、今風の公営住宅が建設されている。しかし、新しい公営住宅には入居者が要るのだが、少し古くなると空き家が目立つ。総体としては空き家過剰な状況がある。

それは南国でも同様で、とりわけ四国地方や中国地方には空き家が増えているようだ。私は讃岐育ちだからUターンの為に香川県の丸亀市に市営住宅を求めたいと考えると、丸亀市のホームページから市営住宅を検索することが出来る。まず飛び込んで来たのが、特定公共賃貸住宅募集のお知らせ。随時募集として70?代5万円台という家賃と規模が紹介されている。これは国が肝いりで地方自治体に作らせた割高家賃システムの公的賃貸住宅で、家賃が高いので必然的に人気が無く、空き家が増加しているからこの有様である。

もっとグクッて見ると、東日本大震災被災者向けに公営住宅を提供しているコーナーがある。11団地18戸に及んでいるが、その中でも本島団地1戸という魅力的な申し込み可能な住戸がある。本島は瀬戸内海の島で、丸亀市とは定期便が就航していて瀬戸内の気候と島の環境、そしてそこそこの市街地を形成していることを勘案すると都会人には垂涎の住まいになるに違いない。現役を離れた佳人にはもってこいの住まいであろう。丸亀市の募集要項には様々な入居条件が書かれているが、市外からの転入者は入れないと言う記述はないし、一般の公営住宅入居基準と変わりない。だから、前もって自分の持ち家を売却して賃貸住宅に住み移れば入居資格は出来る。それから申し込めばいい。

それに隣町の多度津町には私の設計した町営住宅もある。そこに入るにはどうすればいいか、さらにグクッて見ると、なんと公開してない。人気が有りすぎて公開しないのか、公営住宅に入るような貧乏人はお断りなのか情報が公開されていない。非常に残念だ。こうした状況は地方により異なるが少なくとも地方都市は人口減少に悩まされて、域外からの転入者を求めている。もちろん最初から市民税を多く支払う現役世代の転入を行政側は希望するが、資産を持った団塊世代なども標的に入っている時代である。大いに勇気を持って地方都市にチャレンジしよう。

中国廈門4日間、1日だけがフリーというツアーがJTBから出ていて、なんと1.5万円だと言うから、ついつい申し込んでしまった。目的は1日フリーを利用して、人が住み着いている土楼集落を訪ねたいという主旨。2日くらいあるとバスを乗り継ぎ安価に見学も出来るが、1日だけを有効に活用するために観光通訳付きの車をチャーターして1日を土楼三昧に費やした。先回は世界遺産の観光モデルとして修復しているものだったので、もっと原始的というか、住民主導で管理しているものを見てみたいという好奇心で訪れた。

客家族の要塞でもある土楼建築は、コミュニティを形成するための器でもあるのだが、現代風の居住性能は持っていないので、今では若い人は住みたがらない。多くの若者は村を捨てて都会に出る。日本の「三チャン農業」が言われた高度成長時代だが、1960年代と同様に、若者が都会に出て行ったのと同様な動きがある。生活の不便さを表すことに、客家土楼にはトイレがない。排泄物はそれぞれが木製の桶を持っていて、それに排便なりをして、翌朝、それを集めて畑の肥やしにするという。日本でも伝統的に汚賄車は「田舎の香水」を運ぶ道具だったし、天秤棒に大きな汚賄樽を担いで、ちゃぷちゃぷ言わせながら運んでいったのを記憶している。それだけ貴重な栄養価の高い肥料だという事だったのだが、次第に肥も化学肥料になり、人間の排出物も使われなくなった。客家土楼にも一部にトイレが備わったが、どうも集団で住むスタイルが次第に合わなくなってきて、見捨てられているという。

文化的な生活は古い建物を使い続けるためには必要な設備である。浴室もトイレも必要だし、エレベーターも必要かもしれない。土楼の中には宿泊室を設けて、民宿経営をしている所もあり、いわばマンションの管理組合が、宿屋経営をしているようなもの。泊まった人の情報を集めてみると、決して快適な一夜を過ごしたという報告はない。一度は不便さを感じながら泊まっても良いかもしれないが、毎日が土楼では辛いようだ。何事も限界が過ぎれば苦痛になる。以前、ドイツで300年以上も前の建物に泊まったことがあるが、そこはトイレやシャワー室は共同で出来るように設備されていた。現代人にとって、居住水準は広さだけではなく、設備も重要で、その設備が整っていると心理的にも安堵感が得られると思う。

今回のツアーだが、余りの安さに宿のランクは最悪かなと思って参加したが、実は設備的には三つ星以上。築後3年から5年ほどかなと思うほど新しく、再開発地区の中で最初に組み入れられたように立地していて目立たないが、しっかりとした設備があった。ただ、再開発中であるので周りにはスラムが隣接していて、その風景がまた日本人から見るとびっくりする。スラムに入っていくと小店が建ち並び、蛙やら川魚、活きた鶏、山に盛った野菜など生活の必需品は並んでいる、めっぽう賑やかだが、ガイドに聴くと、そこに集まっている人は田舎から出てきて、住み着くところが無いので、そこに集まった人々だという。客家土楼からの都会組もいるのかもしれない。

ちなみに、廈門では農村戸籍の人が高級マンションを買ったら都市戸籍が貰えるという。北京や上海はその制度はとっくに無くなっているのだが、廈門はまだ続いているという。中国では都市戸籍がないとまともな職にはありつけないと言うから、プレミヤ付きマンション販売も政策となるのだろう。廈門の人口が70万人だという。どんどん増えているしどんどんマンションも建っている。なんとなく、将来は香港やシンガポールのように立体都市に変貌するのだろうと思わせるに足る情報を今回は得た旅だった。

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客家土楼の生活風景

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