先週、桐生市に出かけて住宅課の担当者などと今後の展開について打ち合わせをしてきました。いよいよ「桐生市住宅マスタープラン(2011?2020)」の実施計画の始まりです。平成22年度に私達も加わり桐生市の今後の住まいのあり方について、桐生市の現状を踏まえた都市経営の一つの方法として、桐生市にある利用されなくなった市営住宅の用地を活用したコーポラティブ住宅事業を展開しようという試みを市の計画として報告書にまとめました。そして、その全容を市民の意見を取り入れつつ市のホームページに掲載し1年余り公開して、いよいよそのアクションプランを実行する段階に入っていくことになりました。
桐生市は伝統のある懐かしさを彷彿とさせる市街地を持つ都市です。東京から電車でも自動車でも2時間余りで行ける関東平野の縁にあります。古くから織物の街として周辺の養蚕農家から集まる絹糸を紡ぎ、織物の街として関東一円にその名を馳せた歴史があります。ノコギリ屋根の工場は新たに息吹を得てカフェや展示館、オフィスなどに姿を変えて利用されている他、大きな町家は再生されてシェアハウスなどの利用にも用途が広がっている状況があります。様々なNPOやまちづくり運動が進んでいて、街は活気を育てつつ、現代のニーズに溶けこむように変貌しつつある段階にあります。
そんな桐生市に住みたいという人をこれから集めます。都市と地方の住まいの連携がこれから始まります。桐生地域には様々な特徴を持つ街があります。少し東京寄りになりますが、同じ様に関東平野の縁にならぶ足利市や佐野市は、やはり古い文化のある街。こうした歴史が人々を育ててきたし、ふるさとと呼べる街としてこれからの日本社会を支える街になると思います。その中の桐生市のあり方が問われているような気もしています。
思えば、ニクソンショックにより日本の絹文化が壊滅して40年を経ました。その間、桐生市の存在は一挙に産業の中核から再編を余儀なくされ、市街地は勢いをなくして人口も減少し続けてきました。しかし、40年前といえば、大都市に団塊世代を中心とした労働者が挙って集中した時代です。そうした世代がグローバルな活躍をして定年を迎え、子育てから解放され大都市生活から解放される時期に差し掛かっています。
すでに人々は郊外を求めて動き始めています。ある人は登山に通い、ある人は山荘を作り、ある人は田舎家での生活を始めています。桐生市内でもこうした大都市からの転入者を受け入れるための施策を講じ始めています。そして、今回のプロジェクトも加わり、さらに一歩進めたコミュニティの醸成プログラムになります。大都市での生活を経験した人々が共に情報を共有して、地方で地域と溶け込んで住まうという仕組みを支援する事業になります。住まいづくりと言うよりもコミュニティ作りという方が正しいかもしれません。まずは仲間集めから始めるプロジェクトがスタートします。
桐生市の伝統家屋の一つ