2012年1月アーカイブ

「永山ハウス」には医者が居る。在宅医療を実践する医者が身近に居ることで安心を確保している。少なくとも1回はその医者にカルテを作ってもらい、患者の一人として登録が済んでいる。しかし、近くに医者が居ても緊急時にはやはり救急車が頼りになる。夜間や休日には個人医院は対応が難しい。医者だってプライバシーがあるのだから常に係わっていられないのが本音。「医は仁術」は誤解で基本は医者も商売である。つまり「医は算術」が正解。ただ医者が誠意を持って対応しているか否かが問題。私の家の近所に患者の目を見ないで診察する医者が居て評判が悪い。誠意は態度で決まるのである。医者と言えどビジネスは共通する。

医者は病気になった患者に対して病名を告げ、回復治療を施すか延命治療をするかしか患者に対する役割がない。そして最後の仕事として死亡診断書を書けるのは医者のみである。「死を看取る」とは言うものの、目的は死んでいるか生きているかを判断する役割であって、死に行く者の哀れを常に感じつつ見送っている訳ではない。高齢者等の最後の看取りは、むしろ家族や介護スタッフが担っている。だから医者に期待しても仕方がない。強いて言えば死にゆく患者に延命措置を講じることが出来るのは医者のみだが、それであっても人生の中の数日から数ヶ月、活かされているという状態を続ける意味は本人には全くない。むしろ活かされている状態が必要な人にしか施されることもない措置である。

人は何時かは死ぬ。その時が互いに幸せでいたいと思う。死にゆく人と見送る人が互いに感じあって最後を過ごしたいものである。「ありがとう」と感謝を述べて逝きたいと願うのも人間の思いだろう。何時の日からか「病院で死ぬ」ことが常態化されたのか。自宅で家族に看取られて死ぬことが出来なくなった。「自宅で死者を出すと不動産価値が落ちる」などということがまことしやかに話題になる。人が病気で亡くなったり、老衰することは当たり前のこと。こうした死に際にチャチャが入る世間の風潮は戒められるべき事。これこそ教育の問題で、人の死を見つめることを子供の時から教えよう。

自宅で葬式を出すことも無くなった現代。私たちは翻って地域社会を見つめ直すことが必要だ。医療も介護も外部委託する世の中。実は家や近隣の中にも医者の資格は無いが、風邪かどうか位は判断できるし40肩なのか帯状疱疹なのかを判断したり出来る人材はいる。何でも専門家を頼るのでは、いくら医者を育てても意味がない。余計な経費を掛けるだけで必要な医療が見えなくなる。介護だってそうだ。元来、畑仕事で身体を使えば健康を維持できていたしそれを売れば小遣いも手に入り、精神的にも自立していた。それを年金一辺倒にするものだから、買い食いに走り健康を害することになる。医者の前にまずは野菜作りを始めることで、健康で過ごせ老衰で死ぬことが可能なのだ。そういえば昔は老衰が多かったように思う。

「豊かさは平等を生む」という考え方が一つの理想だとすると、現代社会も豊かさを享受できる社会がまずは必要になる。一部の金持ちと多くの貧乏人の構図はいただけない。世界には不均衡や不公平を是正する紛争が絶え間ないが、一歩一歩時代は平等へと向かっているように思う。情報の共有や教育の充実により人々は平等を求めるようになる。その大きな力は「幸せは共有することによってさらに幸せになる」というのが私の信念である。それほど高邁な信念と言うことではなく、人間の性を考えると一人だけの幸福はあり得ない。リビアでカダフィー大佐が一人で富を享受しようとした結果、殺されることになった。アラブの春はまさにこれを表している。

金銭欲は誰だってある。だけど人は独りでは孤独だし心の安定は保てない。嘗てフィリピンの大統領だったマルコス大統領が市民による革命により宮殿を追われた後に残った夫人の靴。大量に陳列された靴靴靴に世界は唖然とした記憶が生々しい。人は頂点に上り詰めると自分を失うという例えであり、多くの君主達がその道を辿った。そして何時かは崩壊する運命にある。

民主主義とはみんなで幸せを共有する仕組みだと心得ている。今の所、最も幸せを生むシステムが民主主義だと考えているから、みんなで幸せを共有することがさらに幸せに繋がると思っている。その為には税制改革も必要だろうし、福祉の充実も必要になろう。ただしバランスの欠いた福祉は問題で、みんなが役割分担した上で、幸せを享受できる社会が求められる。

国の中での貧富の差は分かり易いが日常的にも格差はある。格差があるのは自然で、必要なのは自由なチャレンジであり、自らの可能性を制限しない社会体制である。たとえば資力がなければ東大に入れないと言う傾向は不自然で、資力が無くとも教育の自由が確保されていなければならないのだ。それは単にみんなが塾に行けるという平等ではなく、大学への入学や教育体制のあり方そのものが改善すべきだという意見である。優れた学問は知識だけの入学試験では達成できない。物事に対する問題意識や自己実現能力の高さ、探求力の背景を探る能力の育成が必要だ。

幸せは自らの力で手に入れるものだが、社会システムが出来ていないと余計や不平等が発生して、同じ幸せを手に入れるための格差が生まれる。まずは教育環境である。塾に行かなくても図書館に通うだけで東大に入ることが出来る社会。知識による試験ではなく研究に対する取り組み意識を評価する口頭試問を重視する仕組み。単に高校を出たからといって入学するのではなく、一端社会に出た後で専門性を確認した学習のシステム。勉学の目標すら定まっていないでの大学は無意味である。より研鑽した社会意識を持った入学の道が開かれることを願うものである。

幸せの扉は社会システムの有り様で決まってくる。まずは身近な環境整備から始めようと思っている。その中で平等と民主主義による社会運営を実現して社会へのメッセージを送りたい。その場を導き出すことに努力したい。

年金制度もない時代、旧家で姑から嫁に財布が渡されるとき、初めて世代交代が行われたと見なした時代が合ったのだが、今はサラリーマン家庭が台頭しているので、親も年金収入があり子供の世帯と同様に財布を握っているのが常。だから同居などしている場合には生活資金を相互に負担して、いわゆるワリカン勘定で維持していると思われる。これも私としては経験もないし想像でものを言うことをお許し頂きたい。

農業を中心とした社会では、就労の限界を感じたときに若い世代に仕事の全てを依存して、親は引退を決め込むか後背に引き、子の経済で生活を支えるようになれば自ずと一家の財布は子世帯に移譲することになる。社会福祉が整わない間はそれが必要だったし社会システムでもあったわけだ。しかし、今は年金制度に問題があるとはいえ、現状の高齢者は年金生活と生活保護で生活をしている現実があり、その子供達も親の生活を支えるという無理な負担もなく自立して過ごせるという社会になっている。従って親子が一緒に住む必然性は無くなっている。強いて言えば「孫が側にいてくれると楽しい」という舅、姑の我が儘につき合うということがあるかも知れないが、各々が自立して生きることが出来る世の中になっている。

それでも同居を望む親子がある。夫婦共に働いている世帯などで、子育てに親の手助けが欲しいという理由と、一戸建てを購入するのに資金援助を無心するお返しとして同居を迫る子世帯の姿が見え隠れする。実際、そうした誘導を目的とした住宅が分譲されていて、とりわけ単身の親の場合は当然のように仕組まれる。親の資産を売却して頭金を調達して余裕のある住まいを購入する。すると何時かは若夫婦のものとなり、一段上の生活が確保できるという算段。購入当時は資金の出し方で持ち分割合を設定するが、建物にしてしまえば資産評価は少なくなり相続税も減額される。しかし、居住レベルの上昇は保ったままでの見送りである。子供が独立した部屋をそのままに取って置くなどの気持ちはさらさらなく、早々に夫婦別床の目的がかなったと、夫は親が使っていた部屋に追い込まれ、妻はようやく独立することが出来る。その時に親の財布は子に託され、さらに嫁に受け継がれたことになる。嫁は自立して趣味を拡大して、夫は「わしも賊」として妻の後を追いかける。

ここまで言い切っては申し訳ないが、何時かは妻と子に持って行かれる財産であることを承知で亭主は生きる道を築かなければならない。サラリーマンが終わった後に残る人生は長い。生きようによっては楽しくもあり悲しくもあり、悲喜こもごもの人生を有意義に過ごしたいと思うのは共通の課題。少なくとも排除されない生き甲斐を見いだすことに注力を掛けたい。何時までも孫子の世話になるなどを考えるのではなく、自力で社会に関わるすべを見つけ、尊敬される祖父像を作り上げたいものである。

団塊世代に取っては、いや私かも知れないが1966年(S.41)森山良子『今日の日はさようなら』の歌詞、『明日の日を夢見て希望の道を』のフレーズは今も新鮮に聞こえる。そして1967年相良直美『世界は二人のために』は受験戦争から解放された私には希望の歌として聞こえた時代がある。当時、私は18歳。一方、1968年から1969年は学園紛争の真っ直中。大学は閉鎖され、自らも「激しい時代」の証人として立ち会っていた。政治不信になるとニヒリズムも台頭してくる中、国に対する信頼が無くなれば「夢も希望もなくなる」のでニヒリズムに走る。三島由紀夫も切腹という武士道を貫いた死に様を見せつけられたのだが、時代はそれを超えていく。当時の学生運動を先導していた世代が社会の中核になってバブル経済を演出して、崩壊させた。そしてその団塊世代は自らの付けを払うように、経済的な苦痛から逃れるために自殺を図っていく。

不幸な日本の保険制度に「団体信用生命保険(だんしん)制度」がある。民間の住宅ローンなどに必ず付いている補償制度である。保障内容は『借受人が貸付金の償還中に死亡、高度障害状態、障害共済年金1級に該当することの認定を受けた場合に、残存債務(未償還元利金)の一切を借受人に代わって保険会社が共済組合に返済。これにより、借受人の債務は消滅。』という返済義務を免れる仕組みが盛り込まれていて、借り手にとって安心な保険制度とも読みとれるが、実は銀行を保護する仕組み。被保険者のトラブルが有っても保証協会が返済金を担保してくれているというありがたい制度なのだ。

日本と違ってアメリカなどはサブプライムローンで返済できなくなって家は取られても、借金は残らないシステムになっている。所が日本の場合は家を手放しても借金は残るシステムで、結局、借金から逃れるためには亭主が自殺するに限るのである。それも密かにではなく、目立って死ぬことで保険が適用され、住宅ローンはチャラになり、家族はローンを抱えることなく購入した住宅に住み続けることが出来るというシナリオになっている。何とも惨めな制度であろうか。

その制度、日本の住宅ローンが個人に対する融資であるリコースローンと、不動産価値に対する住宅ローンであるノンリコースローンの違い。日本の場合は不動産に担保は付けられているものの不動産価値が下がった場合の差額は融資を受けた個人が支払うというもので、結局その差額を個人が負担できない場合は「だんしん」が補うということになる。100%融資などの実態があるのだから、最初から自殺を誘導しているという言い方も出来なくはない。

その保険には支払いが出来ない条件として「保障の開始日から1年を経過する前に自殺したとき」とあり、暗に自殺を誘導している節があり、何とも哀れな保険である。「亭主元気で留守がいい」ではなく「亭主死んでも安心居住」等というギャグが出てきそうな実態である。可哀想なのは亭主なり。そろそろ生き続けられる制度に改めたい。生き続けることでの喜びはたらふくあるので、制度により死を迫る現行の住宅ローンを改めたい。その為に有効な住まい作りを進めたい。

今年の3月に小笠原諸島の父島に有料老人ホームが完成した。小笠原村立有料老人ホーム「太陽の郷」がそれで、入居一時金もなく食費も入って12万円程度と格安だ。全10室で診療所と隣接しているので病気にも安心。最期まで居られるという環境はありがたい。島ではこれまで介護を受けるようになると島を出ていくしかないと言うこともあり、島に住み続けたいという思いを実現するために高齢者施設として始めて取り組んだという。

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小笠原諸島には父島と母島に居住者がいるが、殆どが父島に住み、2500人程の小さな村である。生計は観光関連が主だが、漁業もあるが近海の魚は熱帯性で美味くない。週に一度届く本土の魚がスーパーに並ぶと瞬く間に無くなってしまうと言う状況で、物資には不便な生活である。戦後アメリカに収容されて島民は全て本土に移転せざるを得なかったが1968年(昭和43年)に本土復帰と共に島民が戻ってきた。また防衛上の拠点としての位置にあることから関係者の居住が促進され、今に至っている。従って高齢者の数は比較的少なかったが、すでに復帰後40年以上が経ち、高齢者も増えてきたことによる老人施設の整備である。

公営の有料老人ホームということでは珍しいのだが、料金体系なども含めて年金で生活できそうな価格帯は嬉しい。詳しくは解らないが、建物は補助金などが入っているのだろうから、殆どは利用料。それで食費を含めての費用はやはりうれしい。これを本土で実現するためにはどうすればいいか。やはり新築は出来なくても既存の施設を利用してコストを抑えた施設を考えれば可能かも知れない。

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入居資格は小笠原村の居住者で要介護指定を受けた概ね65歳以上のひとが対象となるとのこと。そろそろ小笠原に引っ越そうかなと、ふと思う。あなたも・・・。

亭主の退職を機会に熟年離婚を決め込もうかと考えている女性も多いだろう。実際、統計的にも増加傾向が見られるのは2004年の年金改革で分割が可能になったことが誘因になっているという。しかし、根底には働く亭主を中心としてピラミッド型に構築された社会保障の流れが、個人に分割されて行く過程であり、従来の家族のあり方が多様化する傾向を示していることに他ならない。

そうなると妻は誰と住むか。ここからは想像であるが、新しい男と共に住むという選択は薄い。長く共に暮らしている記憶もあり一人では住めない。むしろ男に疲れての離婚だから、親しい女友達同士で住み合うという選択肢になるだろう。女同士、気兼ねなく過ごしたい。子育てをして資産を残してきた人生は終了した。その後は気軽に趣味に生きたいと思う女性は多い。そんな時に亭主の存在は邪魔であり、目標を失って家でゴロゴロする亭主には嫌気がさす。食事の世話もこりごりだし「亭主元気で留守が良い」と思っているのに家に居着かれるとかなわない。これまでの天国が地獄に早変わり、次第に亭主への愚痴が多くなり恨み辛みが復活して離縁状を叩き付けることになる。そして新たなコミュニティに参加して妻は消えていく。

実はその後の亭主が気になる。三行半を叩き付けられた男の心境は堪らないものだろう。自分を責めるか、妻を恨むか、自立する精神も乱されるに違いにない。酒に溺れるか自虐的な人生が始まるに違いない。夫婦間も社会であり、退職勧告を受けた亭主はその役割を奪われて生きる場を失っていく。運命的として捉えるにしては人間関係での終末的な結果である。なかなか納得できない日々が悶々とするに違いない。子供達は母親に付き、寄りつかなくなる。孤独と孤立が襲ってきて自制心が保たれない。いつの間にか反社会的な行為もして、自らの社会的な位置を確かめたり危険を冒して自虐的な行為に走るようになる。良くあるのが万引き。お金が合ってもスリルを楽しむようになる。言葉を交わさない毎日は認知症を発生させ精神的にも病んでいく。

男はだらしない。こんな男も集団社会の中では役割を見つけていく。嘗て会社であったような組織的な環境では落ち着きを見せる。だからシルバー人材センターは老後の男の生き甲斐となる。我々のNPOで「困助事業」を展開している。リタイアした専門家と住まいを守る為のニーズをマッチングさせる仕組みで、水道の水漏れ修理に嘗て得た杵柄の人を送り込む。垣根が壊れたら修理の出来る人を手配し、ペンキ仕事には昔ペンキ屋だった人に繋ぐ。住まいの維持管理に関するニーズに対する人の斡旋事業で、注文も多い。そこでは小さな収入だが働くことが出来、男性の役割が見いだせる。誰かの役に立つことが社会である。家族の役割分担が終了した後には地域の役割分担が復活する。離婚した妻も「困助」に頼むことになるだろう。その時、生活を支える機能として男の役割が発生して地域のあんしん居住が実現する。男は些細なことでも誰かの役に立っていないと生きられない動物なのだ。きっと貧乏性なのかもしれないな?

20110311は消えない記憶として残った。被災地からの声を聞く度に「絆」の大切さが見えてきた。恒例の清水寺住職の今年の一文字にも「絆」が選ばれた。ネットの語源由来辞典で調べると「絆とは、断つことの出来ない人と人との結びつき」とある。

人は独りでは生きていけないという・・・。絶海の孤島に流れ着いたロビンソンクルーソーもサンディという相棒を得なければ死んでしまったに違いない。15少年漂流記の子供達も15人の社会があることで相互に影響し合って住み続けられる環境を作り上げていった。スイスのロビンソンはもとより家族での孤島生活だったのだから、どのような孤立生活も一人ではない。これらは全て物語りなので、一人だけでは話として面白くないだろうと言うこともあるが、誰かと生きるということは心の絆を満たしてくれるものがある。たとえいがみ合った末、離婚したとしても二人の間には関係があったはず。心の結びつきが終了しただけで、新たな人との結びつきが生まれ、そして新たな絆が育っていく。

正月が来ると初詣に人が集まる。だいたい家族だったり友人だったり誘い合って初詣に出かける。あるいは店の繁盛を願って新年の忙しさの合間を縫って一人で出かけける人もいるが、みんなが共に幸せになるように願うのが普通のこと。実際に神様の存在を信じている人は殆ど居ないし、願い事をしても効果は無いことを百も承知しているのに初詣に出かける心がある。たぶんその心は石川啄木の短歌「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と同じように人混みに人々の勢いや佇まいを感じに行っているのではないかと思う。

達磨大師が洞窟に向かって座して念仏を唱える修行を行ったのは、世俗に背を向けて孤立を受け止めるために修行したのだが、人は一人ではないことを背中に感じつつ自らを見つめた行為だったに違いない。インドだったかオオカミに育てられていた少年が見付かったという。発見されたときは10才くらいだというが、人間社会に適応できないくらいオオカミとして生きてきた。牙も生えていて人間もオオカミに育てられると身体的な特徴も変化するということが解ったことを印象として覚えている。

オオカミ少年は極端ではあるが、子供の成長を見守ることは社会の責任だと思う。母親が自分の子供に売春をさせるような日本である。孤立する社会が生み出す弊害にそろそろ気づいて、コミュニティというしっかりとした人間関係が保てる住まいや街を作って行こうではないか。オオカミを悪くは思わないが人間の社会的な規範を覚えられる環境を造ることは社会の役割だし、その中で子供を育てることが地域の責任でもあると思うのだ。

人と人との「絆」が正常に生まれ育つためには孤立しない環境が前提になる。たまには世話役も必要だし、お節介だって心の平和を保つのに役に立つ。人は人が育てるのだから、多くの人の刺激が子供の精神を豊かにする。その中で取捨選択することの出来る環境が望ましい。親の考え方が間違っていたら気づけることも大切なこと。全てが親の言いなりの子育てはオオカミ少年を人間が作ることにもなりかねない。それを防ぐ為には集団での居住が望ましいのだ。改めて集合住宅の意味を感じている。謹賀新年。今年は良い歳になるように・・・。

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