2011年12月アーカイブ

「無理とムラと無駄」を無くそう。

無理してローンは組まない。無理して家を買うと後が大変。とりわけ低金利が続いている今、変動金利で家を買うなどは以ての外、金利上昇で喜ぶのは誰もいない。金利上昇で支払いが出来なくなった住宅は差し押さえられダンピングされて再販される。しかし、借金は帳消しにならないし新たに住む家は準備するしかないとなれば踏んだり蹴ったりだ。金利が上がることは物価も上昇しており、生活を圧迫させる要因になる。預貯金金利は上がるが資金に余裕がないからデフォルトするのであって、「預貯金金利とローン金利は拮抗する」などというセールストークに騙されてはいけない。すでに住宅バブルは崩壊して、資産価値が上昇する時代はとっくに無くなった。今後は資産価値は守らない限り低下する一方なのだ。

バブル期にスキー場のマンションを購入した人も多い。二千万のマンションが5万円で売っている。維持費が嵩むことで手放すオーナーが多い。その内維持費さえも払えない人が増え、固定資産税の支払いも滞っていると聞く。家族が成長して行く中でスキーが大流行。スキー場に宿が取れない時期があり、リゾートマンションが雨後の竹の子のように建設された。そこに成長過程の30代半ば子育て中の成金世代が集中した。自宅の他にローンを組み、たっぷりと借金を増やした世代が困惑している。どこかでバブルの付けを払っているのが現状である。住宅だけならば何とかなったが、別荘にゴルフ会員権そして株取引で大損した世代。欲張りすぎて多方面に投資したことが災いしてピンチに追い込まれている。借金は一極集中。「むら気を起こさないで堅実に生きよう」とは今になって言えること、堪え忍んでいる姿が見える。

会社人間になり、借金のために働いてきた。企業のベルトコンベアーに乗り、いつの間にか定年期を迎える。会社で過ごした時間の多さに今更感心するのだが、よくも人生を無駄に過ごしたものだと思う。退職を記念に夫婦で旅行に出る。会社からも勤続30年で初めての海外にも行ったが、ツアーで出会う人々も同族のよう。互いにかばい合い、自らの人生を肯定する。人生が会社の為だったのか自分の為だったか、子供達は独立して家を出ていき残された自分は何だったのかを考える。盛んに土産物を購入して子供達に孫達にと買いそろえる。近所にも配らなくてはと、自慢話を聞いてくれるチャンスを演出する。

サラリーマンとはそういうもの。今更無駄を埋めることは出来ないと諦めるか、今から無駄を埋めようと努力するかは貴方次第。定年退職の後に天下った組織で勤められるのも65歳まで、それからの人生、15年はある。経済力の整った余生と考えるか、もう一つの自己実現を目指す15年とするか、100歳を迎えた聖路加国際病院理事長の日野原さんを見習えば35年の人生が待っている。何を求め何にチャレンジするかは貴方の選択に掛かっている。

1995年8月21日第1刷発行だからかれこれ15年も前の著書になる。フランスで単身子育てを経験して、フランスから家族の有り様をメッセージする筆者の見識で、家族のあり方を考えさせられた記憶がある。私が手にしたのは2000年8月の第8刷だったから、それから10年になる。未だに新鮮な印象が残っていて、社会が家族に成すべきことや人の生き様とそれを支援する社会の仕組みのあり方を示唆してくれる。母一人子独りは大きなハードルではあるが、社会が支えるべき第一義のステージで、社会人としてすくすくと育つ子育て環境が無ければならないし子育てを支える周りの支援は欠かせない。そこには教育が必要になる。

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2005年フランスで若者の暴動が発生した。25歳以下の失業率が20%を超え、ただでさえ高い失業率10%を若い世代が引き上げている有様に対する不公平感が高まり、怒りを覚えた若者が声を荒げた。とりわけ移民の子達は就労には排他的な環境があることを気に病んでいる。多くの移民達が社会住宅(日本での公営住宅)に住む。その環境は集約的でゲットーのようにも見える。子育てする親が十分なフランス語を喋らないので必然的に子供もフランス語を使えきれない。だから就労チャンスは減る。隣戸の家庭環境が崩壊すると隣接に伝染するし、限られた人々の中での成長は大海を知らずに狭い世界で終始する。やはりここでも教育が大切になる。

東大に入学する子供の親の経済力を評価した記述を散見する。子供の環境は経済で決まるという弁だが、教育を金銭と相関させる考え方はいただけない。教育は自由で無ければならないし、そうした社会に進歩させることが重要だ。そして東大が目標で合ってはならない。むしろ世界には多くの優れた教育の場がある。だから世界に向けた子育てが必要だし世界にチャレンジする教育が望まれる。それは学習塾ではない。海外を見て海外を知ることである。そのことで自らの生きる方向性が見えてくる。

こうした教育を実践しているのがデンマークである。高校を卒業して大学や社会に出る前に海外に旅に出るなどの研修期間が用意されている。もちろん生活保障もされているので親の負担を強いない。国が補償して子供達を冒険させる。それによって自らの可能性と自立心を育てるのだ。こうした経験を通して大学を選び、または就労に付く。大学の費用は無料だし生活費も支援があるから、たとえ就労を止めて大学に入っても不安がない。働いて貯蓄して大学院にチャレンジするという苦労はない。だから経済的なハンディキャップは無くなる。「東大は金次第」という恥ずかしい文化は一掃したい。

日本人のノーベル賞受賞者の多くは海外に学んでいる。それだけ住みにくくなった日本社会がここにある。日本の子供達はフランスの子供達と同様に憤りを示さないのか、与えられた環境で満足しているのか。多勢に無勢で声が出せないで居るのか。子育ての中から新たな子供達の息吹を育てて行きたいと思う。その為には新しい家族の実現が欠かせない。

子育て、会社人間、主婦という仕事、いろいろな人生が区切りを見せ、ふと次なる人生を思う。「あなたの未来は」と尋ねられて答えを持たない自分がある。人生とはそういうもの。いつの間にか与えられた人生を送っているものだから、いざ、目の前に選択肢が迫ったときに俄に答えが出ない。そんな時には「安気な住まいを考える会」に参加いただきたい。その第一回説明会を11月5日(土)に開催した。会場は「永山ハウス」で、諏訪、永山、聖ヶ丘の分譲団地や戸建て住宅を中心にチラシを3000枚配布して状況を見た。住まい作りはコミュニティが原点。人が集まるかどうかは試してみなければ解らない。だから最小限の費用とエネルギーで共に暮らす仲間探しを試みた。

結果として5組の方が来られて資料をお持ちになったり、具体的な意見交換も終えて次回の予定を確認して解散した。最初の一歩だからニーズが無ければ諦めようとも思っていたのだが幸い反応を頂いたので、毎月第一土曜日を「安気の会」の定例会として住まいに関する情報交換を行えればと思っている。そして二回目の12月3日(土)を開催した。今度は同じ処にチラシを配布したが、配布したところからではなく、口コミで一組が来られた。コーポラティブ大好きだという若いご婦人。正月も出席者は少ないかも知れないが一応開催予定1月7日(土)として順次進めようと考えている。参加者の少ない内はスタッフも多くなく対応できるし、人数が増えればスタッフも増員するという流れで進めようと思っている。

一方、広報活動であるが、経費を掛けられないと言う状況もあり、次回向けに所内で簡易印刷をして手配りをする。同じく3000枚だが少し配布範囲を変えて今度は賃貸エリアを対象にしようと考えている。定期的に説明会を重ねて参加者メンバーを募ることが目的。情報を知り得ても継続性のある計画でなければコミュニティは育たないし、そもそも人が集まらない企画で有れば継続性は丹保できない。だからこそ、継続的なプロジェクトに進化させることを宣言することが大切だと考えている。

住まいについて議論する要素としては、建物の位置や敷地の規模、地権者との合意など様々に関心事は有るのだが、基本は「共に暮らす仲間」であり、住み合ってもいい仲間が出来ない限りこうした住まいは成り立たない。とりわけマンション事業の専門家は敷地を前提に住宅事業を組み立ててしまうのだが、本来はコミュニティがあって、敷地が登場するものである。嘗て、採取民族の時代には集落を探して部族が適地を見つけて行く。そしてその種族にあった居住地を選んで集落造りを始める。其の地が別の居住者が占有していれば、先住民を追い出すか、融合するか、そのテリトリーを尊重して他の土地を求めてさらに探すのである。

それぞれの部族なりコミュニティの価値観により海に近い土地を求めたり、農耕に便利な土地だったり、採取生活に便利な地だったりと居住地は自ずと違いを有するもの。最初に土地が有るという考え方は、まずは求めないことが正しい進め方だと改めて思う。誰かと住みたいという仲間を求めて参加する人を求めていこう。

「持ち家派か賃貸派か」の議論は永久に続きそうにも見えるが、そろそろその議論も終焉を迎えそうな気配だ。というのも家が余り始めているし、親が所有する住宅に子が住むケースが増えている。つまり家を“買う”のではなく“貰う”ことが普通に成りつつある中で、分譲か賃貸かの議論は間が抜けて聞こえる。こんな風に言うと、家を受け継ぐ可能性のない人には憤慨される方も居るとは思うが、実際、私の周りでも子供を自分の所有する住宅に住まわさせている熟年世代が目立ち始めている。だから子供は建物の維持費と固定資産税のみを支払えば住まいに対する負担は無くなるという寸法だ。

実は日本国中が人口減少と世帯数の減少を始めて居るのだから、住まいは必然的に余ってくるし、建物は維持管理しなければ朽ちて来るのだから、「使ってくれる人さえいれば只でも良い」という状況に確実になる。実際、建物とは違うが農地については後継者が居ないので畑が荒れるのを防ぐために、只でも良いから借りて貰い、耕してくれる人を求めているケースは至る所にある。畑も一端荒れてしまうと回復は大変なので、結果として維持管理さえして貰えればと言うことになる。それと同様のことが住まいについても発生している。

そもそもすでに全国的には平成20年段階で空き家が13.1%に達している。その5年前が12.2%だったのと比較すると5年間で0.9%も上昇しており、その前の5年間の家余り上昇率0.7%だった事も併せて考えると、空き家の増加はスピードを増していることが解る。そして今後は世帯数が減ってくるのだから、家余りも急速に顕在化してくることになる。より実感として確認すると、空き家率の計算は住宅数に対して利用されていない住まいの率なので、コミュニティとして見ると10世帯のコミュニティに対して1.5戸の空き家がすでに有るという計算になり、それがどんどん増えていくのだから物騒で仕方が無いという事にもなっている。すでに過疎地というよりは地方都市では空き家が目立っていて、特に借り手の居ない賃貸住宅に空き家が増えている。

やがて賃貸経営者の維持管理費用や固定資産税などの支払いが困難になると、その資産価値も崩壊してくるのは目に見えている。そんな現象の一端が越後湯沢の中古マンション10万円の状況に現れている。こんな話は湯沢だけの現象ではなく全国至る所で現れてくるのであり、別荘などの空き家を除いても12.4%が居住用住宅の空き家であり、空き家は金食い虫であることを知ると「維持管理費さえ払って貰えば良いから使って欲しい」となる。重ねて言うが世帯数が減ってくるこれからはますます空き家が増えるという時代なのだから、「持ち家派か賃貸派か」という議論はそろそろ終えて、本当の住まいのあり方を見つめ直す時期だと考えている。その時には新築だとか中古だとかという議論も含め、既存の住宅ストックを如何に利用して真に求められる住まいを造っていくかが問題になり、本来の住まい作りが可能になると思う。

やっと住宅双六の呪縛から解き放される時代がやってくるか・・・。

「人口減少が日本を変える」という。人口減少時代の始まりは地方都市が衰退して大都市一辺倒になるのか、それとも地方の核都市が台頭して来るのか、都市間競争が始まりそうな気配。すでに南国沖縄には人口集中が続いているし東京圏でも人口増が顕著だし、大阪も大展開しそうな状況。人々は何処に行くのか、その行く末が見えない。だから不安が地方を中心に広まっている。とりわけ東日本大震災の影響は東北を中心とした各都市には厳しい条件が突きつけられた感もあり、必ずしも全国一律の推移ではないと予感されるだけに各都市の未来が描けないことに焦りを露わにしているようだ。

今後の日本の人口減少のスピードと規模は戦後の人口増加をミラーで反転させたような動きとなることが人口問題研究所で推計されている。戦後の人口増加のスピードに遭わせて市街地が拡大した様子は多くの人の記憶に残っている。それが反対のベクトルとして日本全土を襲う。取り残される人や市街地が発生することは容易に想像できるし、人が集まるところと集まらないところが発生して、ホットスポットとコールドスポットが顕在化する。すでにイギリスがこうした変化を体験していることもあり、日本と重ねて見ることも参考になる。

戦後の人口集中は機械産業を中心に拡大していったが、今後はどうなるのか。工場誘致で拡大した国土は生産拠点の海外への移転で衰退を余儀なくされるだろうし、そうなると労働者はサービス業を中心とした雇用を確保するために人口が集中する所に吸引されるようになる。従って人の集まるところにはさらに人口が集中し、過疎が各所で発生するようになる。とりわけ製造業を中核としていた工業都市の状況は国際競争に勝てない産業を中心に操業停止や事業所の整理などと共に住居すら見捨てられる結果となる。そして市街地は衰退する。

戦後、地方の核都市を中心に工業団地と住宅団地が並行して開発され、新しい居住地としてのニュータウンが拡大していった。その関係で旧市街地が衰退して沿道型商業拠点が延びていった。こうした市街化の進展が今後は反対方向のベクトルとしてフラッシュバックのような衰退の方向を辿るのか、それとも全く別の方向を示すのかが議論になる。多くの地方都市でコンパクトシティ構想が提案されるが、残念ながら旧市街地を中心とするコンパクトシティ構想は成立しないと考えている。というのも生活をベースとした都市規模はすでに拡大していて、決して居住者は過去の都市形態を求めていないことに尽きると考えている。

今後の住まいと市街地のあり方は、現代的な居住スタイルに適した居住地をベースにして商業業務地が広がるという構造になる。つまり簡単に言えば生産基盤を中心とした街づくりではなく、自分たちの蓄えを消費する、内需型、貯蓄消費型の社会が成立するように思う。輸出による利益の確保の優位はまもなく終わり、年金や貯蓄の消費をベースにした内需産業にシフトする。こうした場合には居住がベースになり、住みたいと思う場所で人々は居住し、そこを起点に買い物などで消費する社会になる。工場に働きに出るのではなく、居住地に近いスーパーや販売店、介護事業や病院での就労など住まいに近い産業を中核としたまちづくりが必要になる。そこではニュータウンが益々住み良い場所としてクローズアップされることになる。

40歳が近づいてくると女の一生はこれで良いのかと自問自答する。・・・かもしれない。私は女ではないので実感は沸かないが、『一度は女として子供を宿したい』と思うのは女の性。男には出来ない技でもあるのだから、単身覚悟して身籠もるのは女の意地でもあるのだろう。恐らくこうした人が子供を授かり独りでの子育てを始める。母一人子一人の生活が始まり、覚悟しているから男親は必要ないという意気込みが強くあるのだが、何処か寂しい。そんな親子が求める新しい家族像がある。それがコレクティブな住まいである。

男女の愛の結晶である子供が、当事者同士の結婚という制度上の仕組みを超えて生まれた場合には、子を育てる役割は多くの場合母親に依存する。資金的な負担を親権者に依存する場合もあるが、自立心の高い女性の多くは、子育てを自らの責任として受け止め、自らの環境の中で育児を完結させようとする。しかし、何処かに無理が行き、子供の成長期に様々なトラブルを発生させる。そこに登場するのが疑似家族としてのコレクティブ家族である。

中国は福建省の客家族(はっかぞく)の住む住居に、円楼(えんろう)や角楼(かくろう)という囲まれた複数家族の密集集住形態がある。一つの円楼に30世帯から100世帯という規模の世帯が同居していて、互いに関係しつつ分離している密なコミュニティを形成している。木造の板壁で仕切られた住戸間では声も聞こえるしイビキも透過する。だから夫婦げんかや子供への折檻など止めどなく日頃の生活が容赦なく飛び交うことになる。そこに家族は相互の関係を保ちつつ育つことになる。母一人子独りであってもそこでは寂しさは無い。むしろ孤立する事の難しさすら感じるだろう。そして一人親の子供も、父親が居なくても父親に替わる人格が現れて尊敬も従順な行いも覚えていく。

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イタリアの映画に『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画館の映写技師と男の子の触れ合いのドラマがある。「トト」と呼ばれた少年サルヴァトーレの父は戦争に取られ、少年はシチリア島の村で母と妹と暮らしていた。そこに父親代わりの映写技師、アルフレードが登場する。トトに執って、アルフレードは父であったし尊敬する映写技師であった。その技師を慕いそして著名な映画監督に成長する。決して親族ではないがアルフレードの死を知らされて彼は故郷を回顧する。

『家族とは必ずしも親族に非ず。』とはこれからの社会の姿である。そこには祖母も祖父もいて、父親や母親、兄も姉も子も孫もいる。好きな子も居れば嫌いな親もいる。どこかで反駁しているが気になっている他人がそこにいて、互いに影響を与え合っている。自立できるようになり集団が気に入らなければ出ればいい。でも何処かで故郷を感じ、家族を感じることが心の家族を実感できるシーンであり、もしかしたら本当の、いや真実の家族の存在なのかも知れないと思う。貴方はどう思う?

今日も人身事故で電車が止まった。何が原因だか解らないが電車に飛び込む人が多い。私鉄の職員に聞いてみた。「自殺した親族には損害賠償責任を請求するのか」と。答えはノーである。請求はしないし、してもいい結果にならないそうだ。自殺をする本人にとっては都合の良い電車かも知れないが、利用者や関係者にはいい迷惑で、極めて無責任な社会参加だと言えなくもない。自殺をするならば密やかにやってもらいたいと思うのだが、何処かで現世を引き継いでいて、自らの最期の行為をこれ見よがしに披露する癖がある。車内での練炭自殺や親しい友人に死の予告をした後での薬物自殺。どれもひっそりとする自殺は少ない。富士山の山麓で首を吊るのは見付からないこともあって報道されないのかもしれないが、私としては本当の意味の自殺の姿だと思う。いつの間にか屍になって動物や昆虫の餌になり最期はバクテリアが食い尽くして自然の循環の中で葬られる。その覚悟が有るのならそうしてもらいたい。

結局、多くの弱虫が死出の旅を最期の社会参加よろしく目立った死に方を選ぶのは止めてもらいたい。いや、それ程社会参加する機会を見つけたいなら何でも良いからやってみることだ。私の近所に住んでいるAさんは毎日のように近所の公園に行って草刈りをしている。別に公園管理を頼まれたわけではなく、ダイエットをするために草刈りで汗を流すという。ジョギングだとかエステに行ったりするのではなく、何か現実に成果を残してダイエットできれば一番良いと考えている。誰かの役に立つことが生き甲斐だとも言う。「金を使って痩せても何の得にもならない」というのがAさんの信念。それが真っ当な社会参加だと私は思う。命を失わせることを自らに架すことはエネルギーの要ることだが、少し誰かの役に立つことをしてから、本当に死を選ぶならば選べばいい。確かに人間の特権は自ら死を選べることで、他の動物には許されていない。決して種を滅亡させる抑圧を受けているわけではないので、進んで死を選ばないのが普通。特別なことを欲しているので有れば禁止することは出来ないが、やはり誰かの役に立つこと。無償の「大きなお世話」をやって欲しい。他人に対して直接する親切ではなく、勝手にする親切ならば誰も文句は言わないはず。例え公園管理者から「勝手に草刈りをしないでくれ」と言われれば、その他にある通路などの草刈りをすればいい。それも勝手にすればいい。

自殺について考えるとき、有島武郎「惜みなく愛は奪ふ」を思い出す。自己愛の終点が自殺だと感じさせる内容で、結局は自分一人で死ねなくて愛人と心中した。芥川龍之介も川端康成も三島由紀夫も太宰治も結局自らを死に追いやったが、それなりに社会的な責任を負って、というより社会的に大きな影響を与えて死を選んだが、電車に飛び込む死者はもう少し社会に寄与してから死を選んで欲しい。余りにも無責任すぎるというのが私の意見だ。もっと現実に動けば楽しいことがある。自殺して何が楽しい・・・。もしかして住宅ローンの返済苦で、団体信用保険に加入している人で、家族の犠牲になっている場合は目立って死ぬのが常套手段。まさか・・・。

『穏やかな人はますます穏やかに』『勝ち気の人はますます気が強くなり』『泣き虫の人はさらに泣き上戸になる』人の成長と共に精神が精鋭化するという仮設を立ててみた。子育てから開放され、年金により経済的な不安から開放され、仕事という社会的な義務から脱却して、好んでするスポーツやボランティアに生き甲斐を持つようになると、人は精神的にも解放され心に秘めていたことが尖ってくる。幾つかの我慢が取れていき、行きたいという方向に舵取りが出来ると、遠慮無く前に進むことが可能になる。自由にそして心おきなく進むことが可能になる。

私にとっても『安気な住まい』を創ることは希望でもあるし願いでもある。こうした住まいづくりに気兼ねなく邁進できる環境があることはこの上ない喜びである。活動拠点としての「永山ハウス」があり、共に奨めようとする仲間がいる。その環境がありがたい。兎に角、コーポラティブ住宅事業を推進したいと模索した50歳、今ひとつ完成度の高い住まいづくりを目指した56歳、そして心の安定を目指した62歳のチャレンジである。

人は幾度となく人生の高見とどん底を知ることになる。その振幅が大きければ大きいほど物事に動じない精神と、事を進めるための自身が育つ。しかし、自らの力を本人が自覚することは無い。弱点もあり自惚れもあるのが人間であり、その本質は見えない。そう思いつつチャレンジを繰り返す。今回のチャレンジで成功は未知数だし、ただ進めてみることにつきる。自らを見定めることで高齢者の心理を探ろうとしたが、今後、さらに精神の先鋭化が進めば、どのような展開になるのか予想が付かない。出来るだけ穏やかでいたいが、果たして諸条件の変化が身に及ぶ影響は多大だと思うので安気にはしていられないと思う。

私の願いは『高齢化したら幸せでいたい』ということである。年寄りになっての不孝は免れたい。育てた子や孫の不孝にも遭いたくないし、自らの不運も嘆きたくない。おれおれ詐欺に騙されたくもないし交通事故にも遭いたくない。世間に顔が見せられないような恥もかきたくない。どこかで保守的になるのかもしれないが、考え方は先鋭化するのだから意見だけははっきりと言うようになるだろう。私の場合はそうである。だから、若いときには言えなかった歯に衣着せぬ物言いを心がけようと思っている。たとえ一部の人には反駁を食らおうとも、自らが正しいと思う言葉を発しようと思う。

そこで、ブログなどを活用して世間に意見具申することになる。様々な立場で物言いを行うことが出来るようにもなってきた。幾つかの講演会にも呼んで貰えるし、教壇に立つこともしている。教えると言うより伝えるというポジションで、多摩ニュータウンをベースにしたまちづくりや省エネに関する事業展開の実例を紹介したり、パッシブな住宅設備の共同研究にも取り組んでいる。こうした場が与えられ、前に向いていることに満足しているし、チャレンジできる場があることに感謝。

コミュニティに溶け込む動機は女性が優位を占めている。何処に行っても男は孤立していて、積極的な動きは少ない。しかし、私の友人に一風変わった個性的な奴が居る。突然妻に先立たれたのでどうなるかと思っていたら、結構外向的で広く女性とも付き合うし、冗談も頻繁に出て旅行好きが呼応して単身ツアーに参加して旅を楽しむことを身につけたようだ。自分では中国が得意だと言い、一人旅を決め込んで満州は東北地方を尋ね歩く。その旅すがら女性の知り合いが出来て、盛んに土産話をする。「そうか男も孤独を抱えない人もいるのだ」と感心する。

ひょんな事から旅好きだという彼も誘って男4人でデンマークとドイツを訪ねた。ベルリンの世界遺産を周りデンマークでサッカー、デンマーク対日本戦をコペンハーゲン市役所広場で観戦し、市内を自転車で走り回る気ままな旅になった。旅行好きの彼は面倒見も良くて、朝は日本から持ってきた旅行用のポットでインスタントコーヒーをみんなに振る舞い、細かな所に気を遣って私などは五月蠅いほどに感じてしまうばかりだったが、兎に角面倒見が良い。本人は技術屋なんだが仕事で営業をやっていて今も時々会社に出向いて後輩を指導していると聞く。よくよく考えると彼は他力本願の男ではなく、自ら物事を切り開く女形なのだと理解した。だから一人になっても強く生きられるのだと。

ある学者が高齢者について評価するのに、高齢者になれば生物学的には「雌雄具有」に近づくのだという言説があったが、正に彼はそれかも知れない。若い頃から付き合っているので解っているつもりだったが、前につんのめるような面倒見と自己主張、それに相手をおもんぱからずに突っ走って行く有様は、私には受け入れられないが、世話人としては大いに役に立つ性癖であろう。高齢者の介護や面倒見の良い世話好きのオヤジというイメージで見れば納得の人材である。

一方、女も男を演じるようになる。押っ取り刀の女はますますノンビリとしていくようで、焦らず騒がず物事に静観する資質がさらに磨きが掛かるようだ。性格は年齢と共に先鋭化するとは、心にいらいらが貯まっている人はますます怒りっぽくなるように、おっとりした性格の人はますます穏やかになるといった風で、出来ればノンビリ組になりたい物だと思ってしまう。ほのぼのと人を愛しつつ時間が過ぎる豊かさを味わいたいものだ。

彼の場合は、もしかして激しい愛を求めているのかも知れないが、その辺りの情報漏れは無いので知るよしもないが、心が先鋭に成ればなるほど愛することも激しくなるに違いない。最近あった関西の老人ホームでの殺傷事件を思い出すが、その時の結末を想像すると恐ろしくも成るが、ヒョッとしたら年賀状に「再婚した」と書いてくるかも知れないと思う。ドリフターズの加藤茶だって45才年下の女性と結婚したし、堺正章だって22才年下との再婚の状況を考えると、彼も面倒見が良かったなとタレント達とつい比較して、彼の生き様に今更感心させられるこの頃だ。

犬や猫を飼う人が増えている中で、動物と共に暮らすマンションが流行っていた。今では動物と共生できることが普通のルールになって、特別扱いのマンションは減っていったように思うが、動物が嫌いだという人が実は困っている。

動物と共に暮らせるというコンセプトは動物嫌いを排除する結果になり、それも困ったもので、動物好きと嫌いな人との反駁が顕在化すると不穏な空気がコミュニティに漂う。折角のコミュニティが動物飼育で崩壊するなどあってはならないことだとは思うのだが、そう簡単ではないのが『生理的に受け入れられない』という言葉。男女ともに存在する感性の一つだから受け止めるしかないのだが、さてどうする。

そもそも孤独を癒す手段としてペットを飼い初めて、新しい家族を求めて共に暮らすようになった仲間の中で、嫌いなペットと共に暮らさなければならなくなった新家族は戸惑う。共に動物好きであれば良いのだが、嫌悪感を抱く動物と一緒に過ごすのは堪らないというと『嫌い』が高じて飼い主も嫌うことに繋がってしまう。やがてこれは『恨み』にもなってくる可能性があり、こうしたトラブルを未然に防ぐには、こうした状態を放置する訳にはいかない。やはり同居している家族が調整を執らなければならないとすれば、小さな家族や住まいでは逃げ場がなく難しい。だから最低でも10人くらいの家族、その規模の住まいの形態が必要で、基本はお互いに触れあうことのない環境にすることが最も良い。しかし、部屋が隣り合わせていたりすれば逃げようがないので、さらに工夫が必要だ。

実のところ私はペットの価値が良く分からない。犬や猫が嫌いではないのだが、飼おうとは思わない。他の人が飼うことを否定しているのではないが、私自身は責任が持てないと言う理由で飼えないと判断している。しかし、親族を含めてペットと同居している生活には接してはいるが、日常的にペットと居ることの心構えが出来ないで居る。だから本当の所、ペット好きの心が理解できない。子供の頃、犬を拾ってきて母に内緒で近くの空き地で餌を与えていた。隣家でウサギを飼い始めたので手伝った。ウサギ小屋には20匹を越えるウサギが居た。犬のお産があり子犬の飼育も手伝った。自宅で飼えたのはハツカネズミと卵を産む鶏と小鳥の飼育だけだ。ハツカネズミは増えすぎたので処分させられた記憶が残る。もしかすると子供の頃の体験がペットの飼育に歯止めを掛けているのかもしれない。

自身では子供の頃の出来事が言い表せないトラウマになっているということを否定はしないが、今、飼い始めてしまえば愛玩しそうな気もするし、しかしその後の責任が背負えないと言うジレンマが越えられないハードルになっているようである・・・。何れにしても動物との同居を嫌う人も居ることを認めよう。なんだか逆になっているような・・・。


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「浄瑠璃14」に始まり「永山ハウス」が完成した。しかし、永山ハウスに参加する予定だった一人が途中で参加できなくなった。それは永山ハウスが分譲型マンションだったからに他ならない。多くの単身高齢者にとって終の住みかは大きなテーマ。しかし、現実には資力は有っても後継者の居ない身ではマンション購入はハードルが高い。それならば有料老人ホームに入ろうとするのが一般的な選択。多くの人が選択するのが身よりのない単身者の行き先である。だから有料老人ホームの経営者から、無くなった高齢者の資産を譲り受けたり、寄付行為で施設の運営に活用したりしたという話も聞く。

機会がある度に日本の高齢者に対する老人ホームのあり方に疑問を呈している。日本の老人ホームは浜松市の聖禮会が最初で、法定伝染病として不治の病でもあった結核患者を収容するのに使われた、利用者負担の仕組みが始まりだ。その運営を遂行するに建物を患者家族が建設し、患者が他界した後は社会的な資産として活用しようと言う仕組みだった。その考え方が有料老人ホームにも適用されたのだが、入居者負担に対して「生涯利用権」という考え方に建物の建設費が基準になり、入居者に繰り返し建物の再建までの費用を負担する仕組みになった。

最初に有料老人ホームを造ろうとした当時は木造の平屋建て。もちろんエレベーターもない建物だから、せいぜい20年か30年では建て替えを余儀なくされる。その為に入居者の方々に負担願うことが事業を存続させる条件だったというのが真実。だから建設費に見合う入居金を担保に生活支援や介護に精進したという歴史が残る。しかし、今は維持管理さえちゃんとすれば100200年は建物の維持は可能な時代。「入居金」が15年や16年で消却される仕組みは不動産の利用としては利用者に対して不当である。

現在、こうしたシステムが有料老人ホームの常套手段として広がったが為、多くの不動産業者や建設業者が挙って老人ホームの建設や開業に奔走する。何故か、それは「儲かるから」に他ならない。こうした仕組みは日本だけだろう。少なくとも聖禮会が最初に建てた老人ホームはせいぜい30年だったかも知れないが、今は内装を30年サイクルで変えていく程度とすれば自ずと費用は決まってくる。日本の有料老人ホームの仕組みは入居金で建設費もカバーしてしまおうという算段。だから高くなる。地主と協働で行う賃貸方式でも、入居金は高額になる。問題は入居金の取り扱いで、資産のあるものに対しては、建設費の対価を預託する仕組みが導入できれば、退去した人と新規に入居した人との交換で資金的には足りるはず。サービスは別物だから建設資金を体内化することで事業展開も可能だと考えている。

嘗て教わったドイツ方式を実現したいと考えている。日本には無かった建設費の預託方式の登場である。それにより日本の有料老人ホームの入居者が救われれば、それに越したことはない。それが心境である。坂井洲二氏の『ドイツ人の老後』(法政大学出版局)が私のバイブル。ドイツには何度も訪ねたが、私にとっての高齢者居住の原点。日本にもそれを導入したいと願っている。その為には自らが実践しなければならないと考えている。だから新しい住宅にはそれを適用しようと企んでいる。

多 摩ニュータウンでの生活が長くなると、いろいろなほころびも見えてきて、計画された都市がもたらす限界も可能性も共に共存する状況がある。また、こうした 状況を背景に多摩ニュータウンのビジネスチャンスに入ってくる業者も様々だ。その中で老人ホームの進出がある。以前から日本の老人ホームのあり方には問題 があるという警笛を鳴らしていて、いわば高齢者にとってデメリットでもある環境を作りうるシステムであることを問題視している。というのも『ドイツ人の老 後』坂井洲二(法政大学出版局)に触れて以来、その確信が強くなった。それは入居金の問題だ。建設費と同等の費用を終身利用権として販売する手法は、入居者が亡くなったり退去されて以降、二重取りになるのではないかという疑念だった。

多摩ニュータウンでも有料老人ホームが解禁され、かねてより老人ホームの「終身利用権」に疑問を持っていたなかで、東京都住宅供給公社が八王子市南大沢地区に平成8(1996) 「ケア付高齢者住宅明日見らいふ南大沢」を開設した。事業手法は施設の整備費用を賄うために建設費相当額を入居者に負担させるタイプで、15年 ほどで消却する方法である。運営は日本の有料老人ホームの生みの親、「社会福祉法人聖隷福祉事業団」であり全国に同様の事業手法の有料老人ホームを展開す る老舗中の老舗である。東京都がパートナーに選ぶのだから日本の基軸となる運営システムを持つ組織と協力するのはやむを得ないが、実態としては長寿命な建 築物を持つ施設であり、15年ほどで建設費が埋め合わせた後も同額の入居金を徴収するというシステムに疑問を持たないのが不思議なくらいである。

一般的に有料老人ホームの当初費用は「入居一時金」と「終身利用料」に分けられる。「明日見らいふ」の場合は65?71歳の方が40?の部屋に入居する場合は4,000万円ほどの入居金が必要で、その他に特別介護費用の一時金として630万円を支払うとのこと。合計4,630万円で40?と考えると、もっと駅に近くても新築で100?のマンションが3,000万円台で買えることを思うと、やはり高額だ。むしろ外部から介護などのサービスが提供されれば、何も老人ホームにこだわることは無いように思う。

この場合、バブル期に建設して設定した入居金だから、いまさら減額できないと言う仕組みがあるのかもしれないが、どう見ても不可思議な価格設定だと言えよう。そして入居金の15%は90日ルールにより守られる様ではあるが、実態としては事業者側が何とか90日間はスペシャルサービスを提供して退去させないよう努力するということになるだけで、根本的な「消却」という観念から離脱することは出来ないようだ。何はともあれ、入居させたとたんに入居金の15%が事業者の収入になるのだから、おいしい話で後は消却期間を何とか過ごせば全額が事業者の収入になるのだ。だから、消却金額がある間は生きてもらい、その後は早々に退出願うのが事業者の本音になるとしても不思議ではない。

そ もそもこうした施設を創ってはいけないと言うのが私の考えだし、先の坂井洲二氏の考え方である。全く同感する。そろそろ略奪ビジネスから共生ビジネスに転 換しようではないか。日本の有料老人ホームの先駆けを創った聖隷福祉事業団の長谷川保氏は結核患者の受け入れとして、当時は嫌われていた結核療養所を造る のに患者の家族に投資してもらい、その施設をその後の患者に利用してもらう仕組みで始めたのだが、いつの間にか次の患者に対しても同額の費用を負担させる 仕組みになったことを悔やんでいるのではないかと思う。そろそろストックを活かした工夫が欲しいものである。

考えてみれば秋元建築研究所のホームページで「自分達の家造りを通して持続可能な住み続けられる街をつくりたい」としてみんなで作ろう会賛同者募集を提案したのが1999年で、2004年に14世帯の戸建て風コーポラティブ住宅、2009年に23世帯の集合住宅型コーポラティブ住宅と時間は掛かったが実現してきた。その間、一緒に住まい作りに参加する仲間が増え、実現に漕ぎ着けてきた。 

住まいは自らが作るし、仲間で作る物だという意識が芽生えてきたのはこうした出来事が根幹にある。『住まいは人が主である』とした個人住宅の宣伝文句は一時を凌駕した感があるが『住まいは「人々」が主である』とすべきで、コミュニティ無くて人の住まいはあり得ない。そして『人々』とは『継続』することであり、後世に継承するものになる。人の一生の中で住まいは幾度か変遷する。アパート時代から家族を作り、そして一人となり次世代に繋ぐ。その変化に伴い住まいも変わってくる。

また、家族の構成員としての「人」の最初は家族に見守られて育つが、やがて社会に出始めて新たに家族を求めて放蕩する。そしてパートナーを見つけて新たな家族形成を始め、子育てが終わると夫婦のみの長い時を過ごして、やがて一人の生活を迎える。その時にまた、新しい家族を捜す。最近は単身で職場と友人との関係の中で心の家族を維持して過ごす人々も増えてきた。シェアハウスを好む世代も生まれてきて、家族の形も変化している。親子関係ではなく親しい友人という関係でなくても、近隣関係の仲間で過ごす心地よさが尊重されるコミュニティが成立している。これまでの家族は恋愛感情が先に有ったが、新しい家族は『好感度家族』という関係が成立しそうだ。

人間関係は『嫌い』という印象が無ければ『好き』になると思われる性癖がある。恋愛感情にも似ているのだが、感情的に穏やかな状態で接していると自ずと心の平安をもたらす相手とそうでない相手が区分される。そして何気なく『嫌ではない人』同士が一緒になり行動を共にするようになる。それが友人であり、新しい家族の始まりだと思う。最近とみに家族間で憎み合って殺人事件などを起こす事件が絶え間ない。『親族としての家族』が崩れている現象だ。家族が一体ではなく個別に生き始めた結果生じる現象であり、家族が運命的な一体性を必要とした時代から個々に個性的な生き方が出来る経済力と環境を整えてきたが故に、家族の結束が必要なくなった結末だろう。すでに過去のものとなりつつある『積み木くずし』は、すでに現実社会に投影されて定着している。

少なくとも現実社会から脱皮できる糸口が用意されていることが大切。若者であろうと高齢者であろうと、単位は一人だが独りでは生きていけないことを知っている。だからこそ『嫌いではない仲間』が集まった新しい住まいの形『安気な住まい』が求められている。

「コレクティブ(collective) 」 とは「集まった」「共同の」「集合性の」などの意味だから、その後にハウジングが付けば「集合住宅」「共同住宅」に他ならない。「コレクティブハウス」と 言えば北欧で生まれた住まい方。共有のコモンスペースを持ち、キッチンや食堂、リビングやテラスを共有して家事分担して協力して生活するスタイル。それも 「共同住宅」であえて文字通り英語化すると「アパートメント (apartment)」という訳になる。

人 と人が集まって住むことの親密さ度合いによって家族のスタイルが異なってくる。親族による家族の基本単位は「夫婦」なのか「親子」なのか、法律的にはゼロ 親等が夫婦なので近しい存在だが、「血縁」としては全くの他人であり、離婚すればあっさりと親族ではなくなる。むしろ1親等の「親子」関係が最も関係が深 いことになる。そこには「血縁」としての確実な結びつきがある。ただ、親子も一緒に生活したり苦労を重ねなければ親密な関係にはなれず、姥(うば)に 育てられた子と母の関係は、NHK大河ドラマ「江?姫たちの戦国?」でも親子であっても心が通わなければ家族としての意識が持てないことが表現されてい る。「親子喧嘩」「兄姉喧嘩」「夫婦喧嘩」はコミュニケーションであり、人と人は「喧嘩」を通じて親しくなる。仲良くなるためには自我と自我がぶつかり合 う過程を経て親密になる。親密になることで「家族意識」が育ち、互いに存在価値を意識するようになる。夫婦も兄姉も親子も友人も同僚も全てに於いて関係性 を高めることで親密性を育てて「家族的関係」になっていく。

戦 後、日本企業が終身雇用を推進して大きく延びていった中で「会社人間」が育ち、「家族的な中小企業」が多く生まれた。とりわけ戦後すぐにはみんなが助け 合って育て上げていく企業風土が強かったこともあり、成長に伴う企業への奉仕精神は高揚した。社員達は苦労を厭わず、徹夜も辞さない体制で会社の成長を願 い、自己実現も重ね合わせていた。「会社が家族」であった時代だ。その時代の戦士達は定年後も共通の趣味を持ち、互いに連絡を取り合いながら「社族」とし て一つのコミュニティを形成している。世代的には昭和30年代の成長期を支えた世代で、男性同士の結びつきである。従ってその時代の男性は家庭を顧みない人が多い。

そ の後の世代として、バブル経済を作り自ら崩壊させていった団塊世代のコミュニティは、信じていた会社に裏切られ、いや自らリストラを敢行して自虐的な社会 構造へと導いていった。そこでの会社は家族とは縁遠くなり、リストラ組は一転して親族に期待を持ち始めたが、すでに家族は父親とは心が離れ、別々の生き方 を始めていた。そして父親は孤立した。とドラマ的に記述したが、団塊世代の地域デビューは様々なフォローアップが行政主導で行われたこともあるくらいで、 意外と難しい。また、こうした世代には単身者も多くなっているので、それこそ高齢化した段階でのコミュニティの取り方が難題だ。

そ こに「コレクティブな住まい」が求められているように思っている。近すぎず遠すぎず、程々の距離。それが同一ではなく適度な関係性を保ちながら関わる人々 に均一ではないネットワークを形成する仕組みが欲しい。そこに「新しい家族」の姿が見えてくるように思う。団塊世代はコレクティブ住宅に救われるか・・・

『衣食住』とは良く言ったもので、人が生きる為の三要素。『衣』は60歳 を過ぎると、これまでに取りそろえた物でほぼ充足していて、必要に応じて下着などの消耗品を購入することで済んでしまう。体格も変わらないので、毎年のよ うに太めのスーツを取りそろえることもなくなり、アジャスター付きのフォーマルウェアーが夏用と冬用が有ればそれ以上の必要もなく、日常は昔買ったジャ ケットで済ませてしまう。後は痩せていくのだから、次第に昔の服が合ってきて服装だけは若返り、リバイバルよろしくダイエット効果でファッションを楽しむ ことだって出来る。加齢は楽しいということになる。

同 様に『食』も量の方は少なくなり、日常はある程度のメニューでのローテーションが多くなる。炭水化物を少なくして、ダイエットコントロールはしつつも、夏 は素麺やそばといった麺類が多くなるが、冬場は鍋に限ると野菜たっぷりな鍋料理が集中する。たまにはカレーも食べたいなと思って作ることもあるが、作りす ぎるきらいがあり、三食カレーは戴けないと思いつつも食が重なるのがカレー。外食が少なくなっている分、自宅での夕食に期待するが、料理造りに面倒さが重 なり一汁三菜などは無理な話で一汁一菜が普通になる。たまには男料理とばかりサムゲタンやビーフシチューなどを定番メニューにもしているが、大体はそれで 食生活は満足している状況。外食で店を尋ねてと言う意識は次第に少なくなり、内に籠もった食事風景が定着する。

し かし『住』については、年齢が進むにつれて気になり始める。「今のままで良いのだろうか」「終の棲家とはなんだろう」「バリアフリーでなければ」「介護付 きの老人ホームが必要なのでは」「しかしジジババと一緒には住めない」などと自問自答し始めるのが住まいのこと。「折角一戸建てを手に入れたのに子供達が 巣立って、広すぎる庭に手を焼き始めた」「エレベーターのない4階はそろそろきつい」「若いときには単身でも外に出ることで楽しかったが、ずっと一人では 心許ない」「母一人子独りの生活が長くつつく訳ではないが」など住まいと家族のあり方や自らの体力の変化、社会的なポジションなど身辺の変化が生活の場も 含めて住居の選択を余儀なくさせる時期になる。

高 齢化するからといって老人ホームが待っているわけではない。老人ホームを自ら選ぶ人はそう多くはない。むしろ家族に迫られて選択するのが施設居住で、半ば 病院と同じこと。出来れば老若男女入り乱れての社会が望ましい。その環境を得た上で、バリアフリーで単身になっても安心して生活支援や介護環境のある住ま いを確保したいと思うのが普通の考え方。そこで我々が提案するコーポラティブ住宅が登場する。一つのモデルは「永山ハウス」である。1階に在宅医療対応の医者がいて食堂もある共同住宅。マンション管理支援や居住者への連絡などのサービス機能のあるNPOがいて、程良い安心を与えてくれる。

高 齢化しても子育て中でも住まいは夢を持てる物でなければならない。日常的な希望を実現するもの。それが住まいのあり方だと思う。贅沢でなくても良い。心の 平安が保てる住まいを望みたい。それが庶民の希望である。決してハードルが高いわけではない。自ら住まいを造ろうと思った時から実現は近くなる。他力本願 では始まらない。住まいは造る物だと心得ることが基本になる。まずは一歩進むことから始めよう。

コレクティブ 1.jpg

ギリスで生まれたコーポラティブ住宅の仕組みは、広く各国で展開されているようだ。「組合住宅」とも言い、参加者主導型の住まいづくりである。日本では1975年以降「都市住宅を自分達の手で創る会(都住創)」が発足して大阪や東京という大都市での住まいづくりをはじめた。また、事業リスクを抱えすぎて倒産したが「都市デザインシステム」が東京圏に多くのコーポラティブ住宅を供給した。こうした企業を中心としてこぢんまりと住まいづくりを進める集団が今もいる。

時代は人口減少が叫ばれ、住宅余剰状況が各地に空き家増加に対する対策として解体などの推進を目的とする条例を策定し始めたニュースも飛び込んできた。2011117日読売新聞ニュースによると『全国の空き家757万 戸 窮余の条例化広まる』とのタイトルで空き家増加により防犯や防火の観点から問題が顕在化してきていることが条例化を進めている背景にある。今後、ある 程度の抑制はされるものの建物の新築も続くと思われ、一方で居住する世帯数は減少することを併せて考えると、空き家の増加はさらに増え、家を造って売った り貸したりするビジネスが頓挫すると思われる。こうした時代には既存の建物をコンバージョンして使ったり、新築するにしても居住者の目的を明確にした住ま いのあり方が問われてくる。つまりニーズを的確に受け止めたコーポラティブ住宅のようなあり方が必然的に求められると思われる。

バ ブル経済の崩壊によりディベロッパーの数も半減し分譲マンションの供給戸数も急速に減少したとは言え、まだまだ多摩ニュータウンでは供給を続けていて、戸 数も人口も増えているのだが、限界はやってくる。とりわけ都市機構や住宅供給公社の賃貸住宅などは空き家を抱えて、家賃の低減を余儀なくされていて、民業 圧迫と言われながらも公社では家賃を下げることを敢行している。それにより賃貸居住者も増え、多摩ニュータウンの総合的な人気を高めることになっているの だが、古い団地を建て替えて供給量を増やすにはニーズに限界があるし、低家賃で入居できる住宅を無くす訳にも行かず、鬩ぎ合いの中で運営しているようにも 見える。

こうした賃貸経営の基盤を改善する手法にもコーポラティブ住宅の 手法は活用できそうだ。古くなった賃貸住宅のスケルトン利用を前提に居住者組合に1棟貸しをして、多様な世帯が混在できるコミュニティを誘導する。すでに スケルトン利用を前提に棟毎の定期借家を始めている都市機構の事例もあるが、民間も含めて賃貸住宅の再活用の方法として大規模コンバージョンによるコーポ ラティブ住宅作りも可能である。こうした手法の広がりはこれからである。既存住宅が多くの空き家を生む前に、有効利用を前提に施策を展開していくことによ り、地域が活性化する基盤づくりが出来ると考えている。早急な展開が待たれるものである。我々NPOもいつでも協力する余地があるので声がけをして欲しい。


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