2012年9月アーカイブ

男1人で生涯を終えるという生き方も良いかもしれない。その場合には擬似家族を作ることをお勧めする。世間では男おひとりさまは何かと疎まれる。若い内はいいのだが、60歳も超えてくると何かと厳しい見方も出てきて、気むずかしくも不潔にも思われることが多くなるといささか自信を失う。

というのも男60にもなると、そろそろ加齢臭や脂ぎった汗などの体臭が気になり始める。その為には清潔にすることが何よりの習慣になる。しかし、誰かに見られているとか、相手が気になるコミュニティがないと、それができない。家族がいたり会社でいる内は社内の雰囲気で自らを改められたが、退職すると判らない。「男やもめに蛆がわく」という表現も当たらずしも遠からずだが、妻が早く逝くと大概の男はそうなる。

一方、ずっとシングルの男性は意外と自覚があり性格も静かだ。時には激しすぎて家族を造らない男もいるが、たぶん早々と犯罪を犯して監獄に入ることになるので、比較的おとなしい男が残る。シングルといっても結婚しないで親と同居というのは本来のシングルではない。こうしたシングルは一人住まいでないから、集まって住むなどの必要はない。ここではとりあえず、今一人住まいの男シングルを考えてみる。

そうすると比較的目立たたないタイプが多いが、大体が我儘な性格が根に隠れている。「結婚したがすぐに離婚」タイプのシングルが意外に多い。若い時に女性と付き合ったが、どうも盛り上がらないので自然とわかれたとか、なんだか面倒が先にたってしまうなど、1人でいる価値を放棄できないタイプもいる。

こうした男シングルが始末が悪い。だからといって男性好みならば、それはそれでカップルになれるのだが、なんだか倫理観というのか、ガードが硬いのか、ハードルを超えられないのか、おっかなびっくりで付き合う相手を選ぶことになる。だから意外と深い関係は得られない。表面的には付き合えるが、親族にはなれないという関係がフランクに存在しているのが居心地がいいようだ。

そこで、こうした男シングルには「地域に開かれた工房型コミュニティ」を提案したい。工房は地域に開かれている。その工房を男シングルの入居者が囲む。工房の種類は単独のメニューでもいいし、複数の工房がまとまっていても良い。たとえばパソコンの得意な人の工房と自転車好きの工房、それに釣り好きの工房も多様な工房が揃っていて良い。その工房が地域に開いている。工房の運営は居住者が担い。地域からのニーズに応える。たとえばパソコンの教室をホールで開催する。釣りのイベントを終末に企画する。自転車で遠乗りを楽しむなど、工房の主催者が企画して地域とのコミュニケーションを図ることの出来る住まいがある。それがコレクティブ工房住宅としての体をなす。

一つの趣味で集まるのではない。個々の多様な趣味が同居できる場を創る。それに因って相乗効果が生まれる。パソコンと自転車が結びついて、GPSで自転車のイベントを仕掛けることが出来るかもしれない。渓流釣りの安全管理をGPSで対応する。想像できないアイディアが多様な可能性を高める可能性がある。男の趣味にはカネもかかるし体力の変化でも志向が変わる。ゴルフが趣味だったが、ダイビングが好きになるとか、車が好きだったがバイクに替わるとか、こうした変化にも柔軟に対応できる工房付きコーポラティブ住宅を提案したい。どう???

専業主婦の多い団塊世代の主婦だから、人生を亭主に託すしか無い女性が多い。だから亭主を選ぶ選択眼が狂うと人生の大半を失望の毎日で送らなければならず、これを何とか回復させたいと蠢くのである。とりわけ学生結婚なんてのは、その筆頭で、「愛が全て」なんて言いながら、感情の赴くままで結婚して子供を作るものだから、子育て期間中は母親役をやっているが、子供がそこそこ育ってくると、亭主に愛想を尽かした妻は独自の行動をはじめる。つまり新たな自己PRの活動開始である。

まずは、近隣でいい男が集まる場所にパートで出る。それで的を絞って攻撃して陥落させるというあの手この手が始まる。その攻勢をする場には、折からのバブルで燃えているマンションの建設現場。男ばかりの職場であり仕事の忙しさから女性と合わないという特殊な環境のもとでのマンション現場。そのモデルルームが新規パフォーマンスの活動の場にまず選ぶ。私の設計したマンション現場でも、現場所長とマンション案内のコンパニオンが一緒になるというのが普通。という話を聴くと、未来に不安を抱いていた主婦の行動も見えてくる。

愛がすべての学生結婚後の亭主の動きに、家族の経済的な信頼が得られない環境にでもなっていたら、子供も親族も次第に心配になる。そのうち、外に信頼出来る男性を作り出し、その人との懇親を深めていく。子供に対してはあくまでも信頼出来る男性であり、性的な関係ではないことを染み込ませながら次第に深みに入っていく。男性にとっても裸一貫で飛び込んでくるのではなく、子供を引き連れた信頼あるアプローチであることを受け止めての関係を構築していく流れに、確かな信頼と責任を感じて、全てを受け入れようと覚悟してくる。そこにいる子供も、密かにセカンドファミリーが育っていることを認識して、時たまの食事会を楽しみ、信頼する男性との小旅行にも母を送り出すようになる。

そのころ、学生結婚の亭主は、自らの進んできた道が、家族を十分支えていなかつたことに気付かされていくことになる。家族の心が父親から離れつつあることを感じつつ、苦々しくは思うが、「愛が全て」の学生結婚が社会性に裏付けられていなかったことを自らも自覚して、精神的な葛藤から家族の幸せを望むように変化していく。愛は全ての男性の在る種の優しさではあるが、社会的な弱者としての烙印を自らに架することでもある。

学生時代に結婚を迫られる女性は多くいると思う。その時、相手の将来を読み取って結論を出すことは難しい。余程、相手が大会社の御曹司や地主であるなどの特殊性を持っていれば別だが、安易に優しさに負けてはいけない。大概の場合、求婚している相手が金持ちならば、その親や親類はその結婚に注文をつけるもの。その時に合格をもらえるならば学生結婚も良い。しかし、大体は失敗に終わるのが落ち。その後の学生結婚の顛末がどうなっているのかを調べるのも面白いデータになりそうだ。結果が判れば披露してみたい。

シルバー人材センターには駆け込むように定年退職後の男が集まる。一旦退職してしまうと、それまで与えられてきた仕事がなくなり、張り合いのない毎日が始まる。サラリーマンにとって、長年、働かされてきた習慣を失うと、人生の前途が見えなくなって駆け込み寺の如く集まるという。

私の父は鉄道病院勤めの薬剤師だったが、定年後近くの薬局に顧問で行っていたが、毎日の退屈に酒も重なって食道癌で若くして他界した。毎日課せられた仕事というものは、課せられている間は負担に成っているし、愚痴もこぼしているのだが、いざ無くしてしまうと生きがいを取られたような気分になる。昔が懐かしく、しなくても良い通勤をして会社の周りをうろつくなんて言う話も聞く。父の場合はそこまででは無かったものの、小さな町だったので昼間から行きつけの酒店で、地元の暇人と酒を酌み交わすことも多くなったようだ。

当時「公務員は60で退職すると5年以内」という話をしていた。確かに言われるように人生を送ったのだが、長く課せられた人生の次を自ら創りあげるには何らかの装置が必要になる。たとえば家に農地があれば、退職後は農業に専念できるし、家業だから放置するわけにはいかないので、身体を動かしながら畑仕事に汗を流すことができる。そして健康を保ち長生きすることになる。多少の宅地があれば不動産経営などの知恵を使った経営も充実した人生を構築するためのきっかけになる。

しかし、それもないサラリーマンは何をするのだろうか。「そば打ち」だって食べてくれて喜んでくれなければ生きがいにはならないし、それをビジネスにするにはリスクが大きい。嘗て退職金を投入してペンション経営に乗り出して苦労をする人々を見てきたし、退職後のビジネス展開に、形は作るが魂の入っていないビジネス紛いが横行する様子も見てきた。なぜか店や事務所を借りることから始めてしまうカッコ付け商法をやってしまう輩がいたが、必ずといっていいほど閑古鳥が鳴いて閉店するのが落ち。

私が感じているのは、こうした退職した後の人生を有意義に送るためには、まず「自分が他人の為に役立つ何かを見つけること」だと思っている。庭仕事が好きならば、剪定仕事をシルバー人材センターで探すのも良いし、都などの職業訓練を受けて庭師として手に職を生み出すのも良い。そば打ちが好きならば、公民館活動に参加して腕前を披露することだって出来る。ただ、会社でいつの間にか「上司」という職能になっていて、何が出来るわけでもなく、せいぜい「ゴルフと上から目線」しかなくなっていると、これは難しい。

その場合には、「釣り」をお勧めする。「渓流釣り」や「海釣り」など1人にもなれるし、1人で釣り船に乗ることも普通にできる。釣り船に乗れば、隣に見知らぬ釣り人がいて、共に魚相手に格闘している姿が見える。渓流釣りならば、山に篭り孤独になれる。自らを見つめなおすことが出来るだろう。それが自分の人生を豊かなものにさせるコツだと思う。何れにしても人生は自ら開拓するしか無いのだから、もう与えられることは無いと覚悟して、次なる行動を起こすことが決め手。

友達夫婦が多い団塊世代だが、確かに私の周りでも何人かは友達夫婦していると感じる男もいるが、「なんだか亭主だけが浮いているなぁ」と思わせる奴もいる。その奥さんに限って家族と仲がいいし、子どもも長く家にいるようだ。大概、亭主は単身赴任していたり、実家で半分親の介護と農業を手伝っていたりと、どことなく別居しているような関係がある。別居して無くても日常的に家にいないというパターンで、外に別宅が有る訳ではないがゴルフとかこつけて出歩いているケースが見え隠れする。

妻にとって見れば、亭主の稼ぎが大体終わると、それ以上の希望が持てないので、そろそろ引導を渡したいのだが、「もう良いから」と言って追い出す訳にも行かず、時々友人を自宅に招待して賑やかにするのも気分転換で必要なこと。そそくさと出かける亭主を後目に、いそいそとケーキ作りを楽しむのが生きがい。

専業主婦が最も多い団塊世代でもあるので、こうしたパターンはありふれているのだろうと想像するが、少なくとも夫婦の愛情はどこかに行って、それぞれの生き方を持った二人がたまたま同じ屋根の下にいるということだから、当然のように気持ちは離れていて、多分、最初の子どもが独立したときから開いた部屋に妻が移り、夫婦別寝は始まっているのだろう。

こうした状況で危険なのは「老いらくの恋」である。団塊世代が老人だとは言わないが、青春期に大した恋愛も無しで、見合い結婚などしてしまうと、どこかに隙間が残る。時々激しい恋愛でもしてみたいと夢想している時に、ふと現れる頼もしい老紳士。そう、以外と年上に惹かれていくのが、同年輩の亭主を持った女の性。性的な欲望で若い世代と激しく燃えるのは男性の方。若い魔女に騙されて財産取られるのが男の性ならば、女は亭主より頼れる男性に憧れる。そこでバツイチ男性とのプラトニックラブが始まる。

専業主婦は職能としての特技がないので、誰かに頼ろうとする。現に亭主に頼っているのだが、それはそれ、経済的な支えはすでに確定しているのだから、後はより良い環境を得たいと考える。「私の王子様はどこ」となる。憧れの人と出会える可能性を探りにコーラスグループに参加する。幾つかのカルチャースクールを梯子する。少しアカデミックに大学に社会人入学してみるのもチャンスに繋がる。

団塊世代の専業主婦の方々、私の推測は間違ってますか?

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