2012年12月アーカイブ

カレンダーの組み合わせで9日間の連休になるという正月休みを利用して『帰省ラッシュ』が始まっている。一時期、帰省が少し下火になったと感じていたが、このところ、お盆休みや正月休みの帰省客が増えているようにも思う。帰省といえば、都会に出た子どもたちが田舎の両親に会いに戻るという流れだが、今やその両親も都会に住んでいるので、帰省そのものは次第になくなっていく運命にあるのかと思っていたのだが、ここに来てなにやら盛り上がっているように感じる。

笹子トンネルの事故もあるが、格安航空路線の増加や新幹線の延伸、高速バスの多様化などで、公共交通利用の選択も広がっていて、価格も選択ができる時代になりつつある。確かに移動しやすい条件は整っているとは言え、そもそも帰省客そのものが減っていくものだと思っていたら、実はそうでもないという現実に驚いている。

国土交通省には観光庁があって、観光情報を提示している。その中で『観光統計コラム「知って得する観光統計コラム」』というコーナーがあって『第5回「混雑vs姑」帰省したくないホントの理由は?』という掲載が合ったので紹介する。ここでは基本的に帰省したくない理由を説明していて、以下抜粋――「帰省はできればしたくないので、あまりしていない」という人が12.7%、帰省はできればしたくないが、できるだけするように心がけている」という人が27.5%います。すなわち、約4割の人が帰省に対してネガティブな印象を持っているのです。――となっていて、帰省はしなければと思って入るが、実際は出来れば止めたいという心根が窺い知ることができる。

そういう私も以前はせっせと帰省をしていたのだが、両親が他界してからは一切しなくなった。毎年のように数十万円の費用を掛けての帰省は、確かに負担でもあり義務でもあったように思うから、出来れば自由になりたいと願うのは、当然といえば当然で密かに心に抱いていた。だが、実際、帰省をしなくなってみると、少し肩の荷が降りると共に、何か物足りなさも感じてしまうのは故郷に対する郷愁なのかもしれない。だから、それ以降は帰省の代わりに正月前に海外旅行を企画することが多くなったし、子どもたちも独立するとさらに帰省の感覚も遠のいていくことになった。いや、そろそろ子どもたちが帰省してくるのかしらんと思ってもいるが、まだまだそこまでにはならないので、気楽に人生後半の旅に出るのだろうと思っている。

最近、近所では孫や子が団地の両親を訪ねている帰省の姿をよく見かけるようになった。多摩ニュータウンの団地であるから東京なのだが、四国から帰省している人や北海道からの帰省など、地方から都会への帰省も見える。集団就職で都会に出た人たちが今では都会に居を固め、その子どもたちが地方で家庭を作って、都会に帰省する姿もまた、新しい帰省の姿。渡しの場合はそんなことも無いので、気軽に過ごしているが、帰省される方も意外と負担になってくるのではないかと、余計な心配をしてしまうのは私だけではあるまい。

「地獄の沙汰も金次第」という妙に真理を突いた言葉があるので、「そんなことはない」などと正義漢ぶったところで真実は曲げられない。確かに金次第だという声が多くを占めるし、そもそも真実とは何かを多数だとか少数だとかで判断すべきものではないという言葉も聞こえてくる。そこに「有料老人ホーム」が登場する。

そもそも有料老人ホームとは、ウィキペディアによると「老人福祉法第29条に規定された高齢者向けの生活施設である。」となっており、概要での説明に「生活サービスを提供することを目的とした施設で老人福祉施設でないものをいう。」となっている。つまり、「老人デイサービスセンター、老人短期入所施設、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、老人福祉センター、老人介護支援センター」以外の高齢者サービス施設ということになる。

どうも、公的役割と私的役割を区分するのに用いている法律のようであるが、日常的な生活支援サービスの多くは公的にサービスして、日常的な生活や居住の確保は私的に行うことの区分のようだ。日本では医療保険と介護保険、そして福祉施策としての公的支援の他は自力で守るしかないと言う判断になるのが基本。意外と通り一遍な施策しかないなと言う感想だが、確かに福祉というのは底抜けだから、どこまでやれば良いのかという限界論に陥りやすい。生活保護と年金とのギャップなど、分かり易い事例も出てきて、年金が減らされる議論は素早く取り上げられているようだ。

さて、有料老人ホームのニーズだが、自主的に選んで入居するケースと、家族の都合で入居させる場合に分けられそうだが、自主的に選ぶ方は、経済的なバランスの上で生活基盤の安心を得て、日常的に積極的な生活を送ることに意義を抱いて入居を選択する。しかし家族に圧されて入居する場合は、厄介者を追いやるが如き事態も加わって、なかなか難しいニーズも背景にあるだろう。

という風に考えてみると、自主的な入居は自らの生活に対して希望を持って入居するというケースが生まれ、入居の基準として利便性、快適性、機能性、経済性などの評価を加えた選択となり、自ずと全国から選別されて評価の高い地域に集中するという市場が生まれるはず。だからそこには有料老人ホームが集まってくる。ということはその地域に居住している高齢者の数よりも、人気のあるところには数多くの有料老人ホームが提供されていなくては外部からの入居は耐えられないから、比較的老人ホームの数は多くなる。

そこで、結論的に見ると、大分県がダントツだが、これは温泉か?と思う。温泉付きの有料老人ホームならば、多少、生活拠点が移動しても友人を呼んだりも出来そうだという思いも走る。人間、体力が弱ってくると、最後には健康維持が生きる希望になる。毎日、朝夕の温泉三昧。「朝寝朝湯朝酒が大好き」な「小原庄助さん」に成りそうだが、あれは会津磐梯山の麓の話。日本人だから、やっぱり温泉が良いなぁ?。

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「有料老人ホーム」という言葉を読むと、「料金の必要な老人ホーム」と読める。それに対して「公的老人ホーム」と云えば、何らかの公的な補助の入った施設で、施設料などの負担はない施設だと理解できる。実際、公的施設である特別養護老人ホーム(特養)や養護老人ホーム、軽費老人ホームなどの費用は公的な支援を受けるので、有料老人ホームよりは相当安価な入居費用で過ごすことが出来る。だから東京圏などは特養に入るのに10年や20年、待たなければ入れないなどと言われるほどで、入るまでには亡くなっているという悪い冗談まで聞かれる始末。だから高齢化して年金生活になったら、公的施設の多い地方に移住したほうが安心だという考え方もある。その比較のためには全国各地の施設の量がポイントになる。つまり、高齢者の数に対して公的な施設が多いほうが入りやすいということになる。

公的施設の割り当てとしては、だいたい多い県と少ない県では2倍の開きがある。65歳以上10万人に対して50施設以上が島根県、徳島県、そして40台が香川県、秋田県、鹿児島県、長崎県、佐賀県、愛媛県、岡山県と続く。秋田県以外は大阪以西の九州四国中国が占める。秋田県は高齢化県でもあるが、人口減少の先頭グループなので、高齢化が進み過ぎで施設の余剰が出始めている状況でもある。つまり施設の余裕は高齢化先進県に現れ始めているといえる。元々、地方で高齢化が進んだ。だから国は地方の高齢者施設にテコ入れを行ったし、地方自治体としても現実の高齢化に対して市民の生活支援を重ねてきた。そして結果として施設だけが残っていったという流れである。つまり、高齢者にとっての公的ストックが可能な環境が整っているという特徴が現れ始めたのである。

「ストックの時代」と言われるが、戦後の日本経済の発展の中で蓄積した資産。とりわけバブル経済期に良質な公的ストックを量産して「負の遺産」として評価されるものも多いが、それらを有効に活用することで「負の遺産」が「正の遺産」として理解される事にもなるのだという意味で、高齢者施設は有益であると思う。地域に残された資産は団塊世代などの高齢者の他界と世代交代により、よりゆとりのある経済的な高齢者の居住環境を生み出す基盤として都市に息づくことになる。そうなると高齢化はもう怖くない。

一度、建った建物は少なくとも100年は使えるものである。地方に建てようが都会に建てようが建物の性能や寿命は同じで、高齢者への見守りのサービスさえあれば快適に過ごせる環境である。地方の若い世代が高齢者施設で働き、高齢者がその経費を負担する形が確立されれば、経済は回る。施設建設費に費用が嵩んだり、企業の利益追求に加担した費用負担を架せられる有料老人ホームと違って、みんなで支えあう公的施設で過ごすことに、次なる人生を置くという選択も都会人にはあるのかもしれないと、改めて思う。

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