30代から公営住宅の計画や設計を中心に仕事を続けてきた。その中で許せない制度が日本にはあった。それは「二種住宅」と「一種住宅」の差である。端的に言うと、一種住宅より二種住宅の方が貧しい世帯の住宅として位置づけられ、住戸面積も5?ほど小さく設定されていた歴史がある。戦後の住宅政策の中で、昭和25年の住宅金融公庫法、昭和26年の公営住宅法、昭和30年の日本住宅公団法の三法が日本の住宅政策とされ、公営住宅は低所得層の居住水準を確保するために全国に整備された。そして差別を生み出した。
公営住宅団地はただでさえ、地域から差別を受けていた。公営住宅団地の学校は敬遠され、「公営住宅の子供とは遊ぶな」という意識が生まれた。そして、その渦中の公営住宅の中でも二種に対する差別意識が生まれた。二種の建物は廊下タイプで狭い。一種は階段タイプでプライバシーが保たれているという具合に、ハードの整備基準が上下意識を生み、差別感を創っていた。収入の多寡にかかわらず家族の人数は同じはず。住戸面積に差があるなどは明らかに差別で、歴然と区別する手法に反感を覚えていた。そして、技術的に可能な方法として、その差を顕在化させない手法を考えた。
そこで一種住宅と二種住宅を同じ階段を挟んで向かい合わせた。つまり一種と二種の建物を作るのではなく同じ建物に並列で並べることで、差別を意識させない仕組みとした。同じ階段で向かい合う住戸の関係では相互に差を意識することは出来なくなる。現実に入居時の所得の差はあっても、その後の経済力は逆転するかもしれない。それが家庭の経済力であり入居時の経済力が続くわけではないのに、入居時から格付けが始まっているという仕組みを実態のないものにしたかった。
現在、一種二種の区別は無くなった。従って住戸の広さと世帯の収入状況だけで家賃も決まり、種別の差別は無くなった。それは政策として居住者サイドの考慮で平等を確保したものではなく、国の補助制度の統合に因って差別が無くなったにすぎない。だからうっかりすると、意識しない内に差別が生まれるかもしれない。
ずっと住まいについての仕事をしているが、ようやく住まいが余り始めて、無理して住宅を購入する必要が無くなった。持ち家の親が子に譲ることが出来る時代が来た。それほど日本の住宅ストックが増えてきたことと、少子化で人口減少社会に入ることで住まいを広くシェアすることが出来るようになった。とりわけ地方の公営住宅は空き家が増えており、都会に拘らなければいつでも公営住宅に入居して低家賃で過ごせることになった。
思いがけなく、公営住宅は国の補助制度で良質な住宅が供給されていて、民間賃貸住宅よりも品質の高い住宅が多く供給されていることから、地方都市では公営住宅の品質に軍配が上がるほどになった。逆差別などと言われる例もあり、貧しくなくては入居できないという矛盾さえ孕んで来た。差別や平等、そして公平などという概念も、時代に因って変わるし制度によって価値観も変化する。住宅余剰の時代に入った今、公営住宅事態の在り方も問われているのだ。
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