2012年8月アーカイブ

『家は男の甲斐性』だという刷り込みに、何とか持ち家をと頑張ったお父さんは、定年退職後はやはり家に拘ってしまう傾向があるように思う。「俺の家」という意識が環境の変化を望まない選択肢となってしまうのは、ある種の呪縛とも言えるだろう。悲しい刷り込みが生涯を左右するようになるとは、自覚しているか否かは分からないが、男は自分で不幸を創る動物のようだ。特に戸建住宅に住む高齢者はいけない。だって戸建住宅団地の高齢化が止まらない。

多摩ニュータウンでも団塊世代が集中する戸建住宅団地の高齢化は顕著で、多摩市聖ケ丘4丁目では、このまま行くと、65歳以上の高齢者が半数を超えるのはまもなくだ。『人が主(あるじ)と書いて住(すまい)』だと思わされた男は戸建住宅に拘った。こうして一家を構える世帯には、子世帯が近隣に住むなどの関係が見えるが、男やもめに子との同居は難しく、時々、孫を連れて娘が遊びに来るが、息子は寄り付きもしなくなる。孫もある程度成長すると爺を相手にするのはかなわんと、次第に寄り付かなくなる。そうなると『男やもめにウジが湧く』の例えのように、家も荒れてくる。

私も含めて団塊世代の生き様をどう考えるかは意外と決めつけが難しい。子育てのために取得した戸建住宅だから、そう簡単には手放せないという気持ちもあるかと思えば、「エエッ、再婚するの?」なんて出来事もある。人は独りでは生きていけないことは承知していて、何処かで仲間探しをしているはずだから、そうした切っ掛けさえあれば、家にこだわらずに生きられるはず。もっと社交的になればいいのにと周りからは思うのだが、男のシャイな部分が、みんなと住むには邪魔。俺俺意識の気取りの部分が出てきて、普通に溶けこむことができない状況が見える。

『男おひとりさま道』上野千鶴子著には、様々な男の生き様を例に、生きる勇気を奮い立たせる切り口が散りばめられている。その中で「男おひとりさま道 10カ条」を提案されているのでご紹介しよう。

第1条 衣食住の自立は基本のキ

第2条 体調管理は自分の責任

第3条 酒、ギャンブル、薬物にはまらない

第4条 過去の栄光を誇らない

第5条 人の話をよく聞く

第6条 つきあいは利害損得を離れる

第7条 女性の友人には下心をもたない

第8条 世代の違う友人を求める

第9条 資産と収入の管理は確実に

第10条 まさかの時のセーフティネットを用意する

以上の10か条を守れますか諸兄。これには上野氏の並々ならぬ男性への愛情が注ぎ込まれていて、これを守れば幸せの人生が待っているのだと思う。ただ、人間だから、酒にも溺れるし、女性にも下心を覚えるのは当然のこと、そんな自然な心を否定して聖人君子を求めるのも酷な話。まあ、程々に教訓としておいて、できないことはできないというスタンスで生きていくほうが健康を保てそう。まあ、とりあえず、戸建住宅に住んでいる男やもめさんには、出歩くことをお勧めしたい。まずは、家をでることから始めよう。

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平均年齢を考えると、亭主より長生きすることが判っていると、その後のことが気になってくる。見送った後の10年の過ごし方である。子どもがいれば孫の世話などを口実に近所に住むか同居するかが話題にはなるが、一人で生きるという強い意志もそろそろない。だから、死に別れた後家同士が共に暮らそうという動きも出てくる。かといって、友人が同時に後家になるとは限らないから、不特定多数の後家同士が共通の価値観で集まるしかない。そこにコミュニティが生まれる。

ケース1:高齢者コレクティブで生きることを選んだ女性。

有料老人ホームを探しもしたが、入居金や維持費を考えるとハードルが高いと判断した。食費を含めて毎月20万円の負担は無理だから気軽に入居できない。自炊で過ごせば持ち家だから家賃もいらないし、せいぜい10万円もあれば過ごせる。そう考えると迷いが出てきて、自らの経済とニーズとがマッチングする住まいは無いものかと模索していた。そんな時に、共に暮らそうという提案が地域のNPOから持ち上がってきた。

高齢者10人が集まって住むアパートだ。地主と協力して共生する住まいである。アパートの家賃は9万円となるが、自分の住まいを貸しても、その家賃と相殺される計算になるので実質負担は増えない。そして何より良いのが、万が一、住み続ける自信がなくなれば家に戻れるという選択だ。子ども達も資産を処分して入居金を払う有料老人ホームでは納得していない様子だったので安心だ。

もし介護が必要になったら、地域で活動している介護支援NPOが協力してくれるし、居住者達が選任した医師も駆けつけてくれる。いわば自分たちでつくる老人ホームと言ったところだ。

暮らしの安心をデパートからトータルで買うのか、自分で専門店をチョイスして買うのかの比較で、個々のニーズに合わせた利用の出来る環境が望ましいと考えている。面倒だから全てをお任せで買うことは当然のように費用が嵩む。金銭的に余裕がある人はこうしたサービスに身を委ねることも可能だが、圧倒的に庶民が高齢化する社会である。自分の人生を自分で選択してサービスを受けることが出来る方が私は好きだ。

もちろん、私の顧客で後継者もいないので超高級老人ホームに入居している人もいる。持って死ねないのだから、あるものを使い果たして死にたいという選択も有ろう。それを否定するものではないが、今後、求められる住まいはこうした庶民の共生住宅だと思う。いわば庶民派の老人ホームの供給だろうと思っている。

国の施策でも様々な高齢者の住まいを制度化しているが、制度として補助金などを出し始めると、そのルールが厳しくなり画一化して、居住者の本来のニーズに適応しなくなる。だから本来の求めに柔軟に対応できる住まいづくりが望まれる。その方法は多様であるはずだ。

定年退職後、趣味だったそば打ちで店を出すとか、八ヶ岳周辺で農地を借りて畑仕事の人生を送るなど、結構、ありがちな人生設計をする男性もいると聴く。私の関係している群馬県、桐生市では市営住宅の跡地を開放して、農地付きの住宅を建設できる土地を提供している。借地なので長期に渡って保有することなく、長くても30年も利用すれば良い土地を所有する必要のないのはありがたい。また、中古住宅の安価な物件も出ていて、土地が2300?で120?の平屋付きの中古住宅が600万円程で出ていたり、土地が5600?で320?の建物付きの物件が1300万円だったりと、買いやすい不動産が突然出てくる。相続税の支払いに困っての売り物件だが、地方であれば隠れ家的な蕎麦屋を開くにも悠々自適な畑仕事をするにも都合がいい物件はある。

だいたい60歳過ぎてから店開きをしようなんて考えるのは向こう見ずというか、結構、投資の割には収益の少ない趣味人的な発想ではあるが、嘗て私のペンション設計の顧客だった人にも、こうした男性は多かった。世代的には私より一回り以上年上の夫婦だが、私の設計した黒姫のペンションを訪ねて来られ、余程、気に入ったのか猪苗代でのペンション設計を依頼してきた。長年、大手の電機メーカーに勤めてきて、戦後の日本を支えてきた世代だし地位も高くなっていたが、早期退職を決意し、夫婦でペンション経営を模索していたようだった。子供はいないので、ペンションに訪ねてくる客に対して親族のように付き合うことが人生の価値と考えているような人で、客室も6室で多くの客は取らないというスタンスだった。

私自身は建物が完成すると余り個人的には訪問しなかったが、設計した宿として紹介した友人家族が親身な付き合いをしていて、ご主人が亡くなった後も奥さんと親族のような関係を維持している。すでにペンションは売却して小さな庵に移っているが、その交流は今も続いていて、定期的に報告がある。

人生とは多様ではあるが、ペンションが日本に導入された時代。団塊世代がこうした建物の設計に若い情熱を注いでいた30?40年前では、退職金をペンションに投入して第二の人生を送ろうとした人々が沢山いた。そして、今、その建物が売りに出され、辛うじて営業していても当時の面影はすでになく、閑古鳥が鳴く状況になっている。だから、今の高齢者はこうした中古物件を購入して、後の20年や30年を生活するという選択肢もある。ちなみに友人の親が白馬に閉鎖したペンションを持っていて、売りに出しているが買い手がないので、時々、掃除に出かけているという状況は、一つの時代の終わりのようだ。

今、建物を新しく造る時代ではないような気がして、桐生市での企画も市営住宅の土地に立派な新築を建てるのではなく、週末を少し過ごせる小屋を建てるべきではないかと、少し逡巡している状況である。土地もある、中古住宅もある、そして使う人や住む人がいないという現実にどのように対応するかが課題になっている。これをどのように解決するか、それが私に与えられた課題だと思っている。

団塊世代の夫婦には友達夫婦が多い。同じ世代で結婚するか、女性の場合は年上の結婚対象世代が少なかったこともあって、年下との結婚も比較的多い世代だから、夫婦でまだまだ10年以上は付き合っていく必要もあるし、年金額を考えても分けてしまっても生活の豊かさには繋がらないので、当面は夫婦仲良くして置いた方が有利と言うことにもなる。そんな状況の中で、女性の次なる選択肢を考えてみよう。

ケース1:団塊世代63歳女性、夫婦で多摩ニュータウンのマンション住まい。

友達夫婦で38年過ごしてきて、夫も定年退職したので、今後の生き方をと悶々としている様子を見ていると、少しかわいそうだと思うこともある。あの年になってマザコンではしょうがないと思うのだが、田舎の年老いた母親を一人で過ごさせるのも告だという気持ちもわかる。しかし、私は友達もいるし身近な環境でコーラスに励んでいるので、田舎に引き込むことは出来ない。夫だけでも行くのは構わないので、生活費さえ置いてくれればそれで良い。

家は持ち家だし、夫がいなければ子ども夫婦が同居するという選択も無くはない。こんな事、夫に言えば「計画的に追い出した」なんて言われそうだけど、夫婦がいるところには家族で戻ってくることは無いので、夫が出ていくという選択はある。

夫婦の役割が子育てにあるというのが大きな命題で、その役割が終えたのだから、次なる人生を選択したいという気持ちは夫婦ともにある。定年退職して後の20年をどのような生き様にするのか、子育て時代と同様な期間を有意義に過ごす生き方を探す団塊世代が見えてくる。

ケース2:団塊世代63歳女性、夫婦で多摩ニュータウンの戸建住宅住まい。

行き遅れた娘が同居しているが、キャリアウーマンで結婚する意思がないようだ。恋人もいるようなのに結婚という形を取らないので、相変わらず戸建住宅に同居している。都心に父親が保有しているワンルームマンションで独立していた事もあるが、今は親と同居することで安定している。すでに男性と同居して家族を育てるという意思を放棄しているのか、父親としては30代の内に一度結婚して子供を作って戻ってくるという選択もあるので、内心は期待しているのだが、口に出しては言えないでいる。母親の立場では良き話し相手として歳の離れた姉妹で通しているが、どこまで続くのかは気になる所。やがて両親のどちらかが病気や介護などの必要が生じた時には、娘は出ていく可能性も残っている。母親としては、このまま行くと老後を背負わさせる事にもなり不甲斐ないと考えている。

家族のあり方は多様だ。だから人生設計は一つではないのだから、様々なケースを確認していくことが必要。そこで、今後は、幾つかの事例研究を重ねて見ることとする。男性の場合や女性の場合などケースバイケースで展開してみる。

そろそろ定年退職して延長雇用も終わり始める団塊世代。その世代の今後の行方を多摩ニュータウンに居住している人々の実態を観察しながら整理してみたいと思う。あくまでも私の主観的な判断基準によるものであり、科学的な調査研究に基づいているものではないことをお断りしておきたい。

さて、多摩ニュータウンには多くの団塊世代が家族と共に居住している場合と、UR賃貸などの公的賃貸住宅に単身や夫婦などで居住している場合がある。また、持ち家の場合には戸建ての場合とマンションの場合があり、さらに資力の違いにより人生の選択肢も異なることが予想でき、一概に一つの回答をすることは難しい。しかし、今後の全国的な人口減少社会や就労環境の変化、さらに年金福祉などの生活支援との総合的な関係の中で、個々の条件に合わせた人生の選択が生まれて来るのだと考えている。

ケース1:団塊世代63歳男性、長男。夫婦で多摩ニュータウンのマンション住まい。

5年前に父親が他界して、残された母親88歳が田舎でいるケース。母親は平均寿命を上回っているが、田舎で日常は畑を耕しながら遺族年金で生活をしている。仕送りもしているので生活は困窮していない状況。ただし、体力的にも長くは続かないので、呼び寄せを検討している。同居は妻への遠慮もあり、近くのUR賃貸への入居か、田舎の資産を売却して近所のマンションを購入するか、思い切って田舎に帰るかを迷っている。また、妻の親はすでに他界していて、財産は整理して兄弟で分けている。

夫は、もともと会社人間であり、地域に戻ってきても地元での日常の過ごし方が下手で地域に溶け込んでいない。だから心の何処かで母親を介護することを理由に夫婦で田舎に戻りたいと思っているが、言い出しにくい状況がある。

上記のようなケースは、多少の違いはあるが、多摩ニュータウンには多くいるパターンだと思っている。殆どが実家のあるケースで、長男長女も都会に出ている場合は、こうしたケースになる。次男次女では、もっと自由で、海外移住や国内でも沖縄や北海道などの自然志向で移住するケースもあるだろう。

ケース2:団塊世代63男性、単身でUR賃貸に住む。

もともと独身で住まいで過ごしてきた。結婚も考えたが出会いを逸して会社人間を通して、最後の再雇用でそろそろ完全退職となる。そこで親のいる田舎に帰ることにした。60歳定年で田舎暮らしという選択や、もっと前にも辞めて田舎に帰る方法も考えていたが、求められる儘、完全定年に近くなった。近隣に友人もいない。だから現在の住まいに住み続ける必要は全くない。ましてや多摩ニュータウンにいる必要もない。会社との関係も建設業では将来の見込みは少ない。人間関係も希薄になった。

田舎には親が育てている田畑がある。田舎で農業を通じたインターネットビジネスや近所の農家と農業法人などを創れれば良い。連れ合いもないので自らの資産は農業法人に残すようにして、地元が振興すればそれで良いと思っている。

シングルの場合はもっと自由な選択ができそうだが、早期退職で次なる人生を選ぶことも出来るだろう。人の人生は多様だから、事例を探れば100以上も有るかもしれない。ただ、具体的な事例を探らなければ整理も出来ないように思うので、こうした試みを続けてみる。

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