安気な住まい:団塊世代、男性編、今後の人生設計はどうする?2

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定年退職後、趣味だったそば打ちで店を出すとか、八ヶ岳周辺で農地を借りて畑仕事の人生を送るなど、結構、ありがちな人生設計をする男性もいると聴く。私の関係している群馬県、桐生市では市営住宅の跡地を開放して、農地付きの住宅を建設できる土地を提供している。借地なので長期に渡って保有することなく、長くても30年も利用すれば良い土地を所有する必要のないのはありがたい。また、中古住宅の安価な物件も出ていて、土地が2300?で120?の平屋付きの中古住宅が600万円程で出ていたり、土地が5600?で320?の建物付きの物件が1300万円だったりと、買いやすい不動産が突然出てくる。相続税の支払いに困っての売り物件だが、地方であれば隠れ家的な蕎麦屋を開くにも悠々自適な畑仕事をするにも都合がいい物件はある。

だいたい60歳過ぎてから店開きをしようなんて考えるのは向こう見ずというか、結構、投資の割には収益の少ない趣味人的な発想ではあるが、嘗て私のペンション設計の顧客だった人にも、こうした男性は多かった。世代的には私より一回り以上年上の夫婦だが、私の設計した黒姫のペンションを訪ねて来られ、余程、気に入ったのか猪苗代でのペンション設計を依頼してきた。長年、大手の電機メーカーに勤めてきて、戦後の日本を支えてきた世代だし地位も高くなっていたが、早期退職を決意し、夫婦でペンション経営を模索していたようだった。子供はいないので、ペンションに訪ねてくる客に対して親族のように付き合うことが人生の価値と考えているような人で、客室も6室で多くの客は取らないというスタンスだった。

私自身は建物が完成すると余り個人的には訪問しなかったが、設計した宿として紹介した友人家族が親身な付き合いをしていて、ご主人が亡くなった後も奥さんと親族のような関係を維持している。すでにペンションは売却して小さな庵に移っているが、その交流は今も続いていて、定期的に報告がある。

人生とは多様ではあるが、ペンションが日本に導入された時代。団塊世代がこうした建物の設計に若い情熱を注いでいた30?40年前では、退職金をペンションに投入して第二の人生を送ろうとした人々が沢山いた。そして、今、その建物が売りに出され、辛うじて営業していても当時の面影はすでになく、閑古鳥が鳴く状況になっている。だから、今の高齢者はこうした中古物件を購入して、後の20年や30年を生活するという選択肢もある。ちなみに友人の親が白馬に閉鎖したペンションを持っていて、売りに出しているが買い手がないので、時々、掃除に出かけているという状況は、一つの時代の終わりのようだ。

今、建物を新しく造る時代ではないような気がして、桐生市での企画も市営住宅の土地に立派な新築を建てるのではなく、週末を少し過ごせる小屋を建てるべきではないかと、少し逡巡している状況である。土地もある、中古住宅もある、そして使う人や住む人がいないという現実にどのように対応するかが課題になっている。これをどのように解決するか、それが私に与えられた課題だと思っている。

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このページは、秋元孝夫が2012年8月13日 23:35に書いたブログ記事です。

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