『家づくりって夢追い人だと思う』お金がいくらでもある人はどんな住まいでもいい。誰かが面倒を見てくれるし、高級な老人ホームに入居すれば至れり尽せりで生涯を終えることが出来る。だからとにかくお金さえたらふく準備しておけば家づくりなど考えなくても幸せは買える。そういう人に私は反論しない。ただし、それが幸せと思う気持ちが保たれればの話。多くの場合、高齢者であれば物質にも介護にも生活支援にも充足されて居るだけでは、実は幸せは感じないのが人間なのだという不幸がある。
人間の欲は『食欲』『睡欲』『性欲』など多様な欲があるが、それぞれの欲求が充足されると幸せかというとそうではない。個人的、身体的な個別的欲求が充足されても、実は社会的な位置を見つけるコミュニティバランスが保てない限り、自身の心のコントロールは出来ない。つまり、どんなに素晴らしい御殿で住もうと、どんなに親切な召使がいようとも、どんなに欲しい物を手に入れても、人は幸せになれないことを殆どの人が知っている。
人間の幸せは常に社会と対峙している。人と人との関係が幸せをつくる。たとえばマラソン選手が一生懸命練習して大会に優勝した時は当然、幸せに感じる。しかし、次に目標が出来れば次なる高みの幸せに向かって苦しい練習が始まる。人間の幸せは、実はその苦しい練習の時も幸せなのだ。幸せのピークと継続的な幸せがある。常に目標に向けて努力している状態が人を幸せにする。
一方、不幸な状況は、こうした目標を亡くした状態。明日を生きる希望を亡くした状態をいう。太宰治が自殺を考えていた時に、反物をもらって袖を通すまで少し生きていようかと思ったように、小さな目標が生まれると人間は生き続けて行けるもの。前に向いていることが人を幸せにさせる。
そんな時に家づくりは大きな目標を与える。ここで言う家とは、言い換えると新しい家族づくりかもしれない。人と人が触れ合う場所づくり。それは他人だった人と人が触れ合ううちに擬似家族となっていく課程で生まれるコミュニティ。かけがいのない人間相互の関係が生み出す一体感のある集団。互いに理解して尊敬し合いながら踏み込まない関係が生まれる。親族関係ほど踏み込まず、でもご近所付き合いよりは深く、近ず離れずの関係がある。
人の幸せは人によってもたらされる。だから人と人との関係を作ることが安定した幸せをもたらしてくれる。そこに共に住むことを考えるコーポラティブ住宅が相応しい。持ち家とか賃貸という分け方ではないそれぞれの経済状況や社会的な状況に有った住まいを生み出す土壌がある。こうした環境を育てることが、実は幸せづくりの始まりになるのかもしれない。
コメントする