「あなたは誰と住みたい?」と問われるとどう答えるのだろう。とりわけ1人で生きてきた場合には「1人で生きていく」と答えるかもしれない。親族や友人が近くにいて、一緒に住むことが双方の望みならば話もまとまるが、大概は別々の生活があるし、わざわざ一緒に住むことなど考えることさえ大変に思う。だから結局、独りで生きていくことになるが、どこか寂しいものがある。
実際に1人で生活している高齢者がどれほど居るのかを厚生省の報告で見ると、確かに年々増えているが、まだまだ10%台で夫婦か子どもと同居というのが全体の80%以上で、何だかんだといっても家族で住んでいるのが実態。やはり1人よりは家族のほうがいいに決まっているという認識になる。だから心のなかには1人での生活は「少しさびしい」という気持ちや「心細いなぁ」という心の侘しさを感じているはず。だから「おひとりさまの老後」の生き方をサポートする方法が欲しいと思う。
圧倒的に多い家族との絆は高齢者の生活を支えているのだが、家族に対しては迷惑をかけないで生きていきたいと思うのがこれからの高齢者なのかもしれないと思う。親子で生活していても親が80歳を超えて子供が50代に入っていると、「何れ私も高齢者に」という不安が過る。その時、今は親と同居していることに心の底には安心を感じているものの、いざ自らが子どもと同居するという選択肢はない。やはり自立して子供に迷惑を掛けないで生きていきたいと思う。親としては子供が自立した環境で生活をさせたいと思う。だから1人でも頑張って生きようと思う。そこに「安気な住まい」がある。
「付かず離れず」という位置関係。「友達以上親戚未満」「気心の知れた仲間」人と人の触れ合いは、適度な接点がある関係が望まれる。だからそうした住まいを求めて止まない人がいる。何時かは一人になる。子どもと同居している場合は、見送ってくれるので良いのだが、日常的な生活サイクルは子供とは違うし、親がいると異性との交際も制限される。親との同居が解ると相手も二の足を踏むに違いない。ならば子供は独立した生活をさせたい。それが普通の感情だから、子供に安心させるためにも「安気な住まい」は重要だ。
最近は子供を持たないケースも増えてきた。とりわけ賃貸住宅に住む単身高齢者世帯の30%は身寄りが居ない。だからこそ、こうした人には新しい擬似家族を育てたい。1人で生活していると結構頑固になる。その頑固さをぶつけあう勇気があれば、コミュニティは育つ。幾つかの心のハードルを超えれば気心の知れた仲間づくりができる。それが「安気な住まい」の真骨頂だ。どんな家族でも、どこかで最後は1人で生きる場が必要になる。老人ホームは一人暮らしの住まいではない。家族が親を誘導する施設なんだから、自分一人で最後を送るのは「安気な住まい」がやっぱりいい。
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