安気な住まい:団塊世代、女性編、今後の人生設計はどうする?5

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上野千鶴子著「おひとりさまの老後」は女が主役なので、男女の区別はない。というより一人暮らしを受け止めるのは結局、女なのだからそれでいいというのが判断だったのだが、その本が売れたから「男おひとりさま道」が生まれたといっていいだろう。だから本音で言えば男なんてどうでもいい。まずは女であるというのがジェンダー論の論客である上野氏の本音だろうと思う。

というのも、「男おひとりさま道」は如何にも尻に敷かれる亭主像を語っている。何とか男を女の配下であるように、そうなることが平和だし、男も幸せになれることを解いていく。「かわいげのある男」が上野氏の男に対する提案だとあとがきに書いているが、男の立場でいえば、それは間違い。女に可愛がられようなんて思うほうがどうかしている。男は孤高でいることを由とすべきだと思う。ただし、男も女もなく社会の一員としての役割を全うするのが本来の姿だが、男として与えられた役割を全うするのが男子の本懐であると考えている。

このポジションの考え方は実は男も女も同じだと思っている。男にしても女にしても自立していない奴はパートナーだって友人だってできない。「可愛げのある」女も男も決してモテない。程度の差はあるとしても、自立した意識を持って自らの生き方を持っている人が、相互に尊敬する関係を深めることが出来る。それが基本だと思う。

団塊世代の女性にしても男性にしても、今後の人生を1人で生きるとなっても、決して孤立しては生きられるものではない。もし、ゴミ屋敷を守って生きようと志向しても、周囲は認めないし、孤立して死ぬことを選択しても、社会はお節介を繰り返すようになる。決して孤独死を奨励する社会にはならないし、何かと大きなお世話を繰り返すのが世の常だ。

私は男だが、まずは社会的な人間だと思っている。そして社会にいる以上、自分に出来る事があるはずだと考えている。得意な料理もある。好きな仕事もある。やりたい夢もあるし、生きられる間に実現したいこともある。それは一つではない。前に向いていれば幾つものやりたいことが生まれてくる。そう人間は欲張りである。だから次々に目標が生まれる。しかし、何時かは死んでいくことも承知している。

すでに友人の何人かは他界しているし、自分だって意外と早く逝くかもしれない。こうした中で、最大限というか無理なく前向きに生きていけることが大切だと考えている。それは男も女も同じだし、そこに人間の進歩があるのだと思っている。自己の研鑽は楽しい。昨日までわからなかったことが理解できた喜び、昨日までできなかったことが出来た喜び。それは生きがいだし、人とともに生きることでさらに喜びも増す。特にパートナーがなければならないという事ではない。友人なり仲間を作って物事を前にすすめる楽しみが出来れば、喜びは消えない。そろそろ男女の区別を言わないで前に進めよう。

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このページは、秋元孝夫が2012年10月 2日 07:03に書いたブログ記事です。

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