2012年5月アーカイブ

幾つになってもドンキホーテ的な挑戦をしているように思う。最初の取り組みではターゲットとしての土地は選べるほどあった。大小取り混ぜて有ったたが、1号プロジェクト、2号プロジェクトと分散し始めて、結局は一番小さい敷地で14世帯が共有した。次のプロジェクトは最初から一つの敷地に拘って進めてきた。しかし、購入条件(販売条件)が少しずつ変わってきて、最終的に23世帯で購入した。しかし、三度目の企画では目的とした敷地がない。かろうじて現状の参加者に因って、永山駅の近くにしようという方向性は決まったが、土地が決まっていないから、具体的な企画を立て様がない。だから次回のワークショップでは、地区内にどんな敷地があるか選定作業をする。

これまでの二回のプロジェクトはUR都市機構の土地だった。最初はUR都市機構(当時は都市基盤整備公団)との協同事業で進めていたので、比較的土地の心配は無かった。ところが二回目は土地の用途の縛りや公募条件などが重なって、必ずしも買えるという保障がないので、最後には神頼みという何とも不甲斐ない買い方になった。それも中間に不燃公社に入ってもらっての事業である。ハードルは高くて関係者に苦労をかけた記憶が甦る。

さて、三度目のチャレンジは、土地は無い。駅周辺の空き地が対象である。殆どが民間で個人の地主であろう土地で、全てが交渉の必要がある土地を対象にしている。地域で住まいづくりを進めるためには地域の人々を対象にする。だから地域の地権者と情報交換する必要がある。そこで地元の不動産業者にも渡りを付けて相互に情報交換の出来る環境を整えつつある。それが上手くいくかどうかは今後の活動に掛かっている。

コーポラティブ住宅の成否は『土地』と『参加者』である。その二つを最初から見出そうというのだから途方もない事かもしれない。一般的には地主との協力の下に参加者探しをすることになるのだが、今回の場合は『参加者探し』を先に進め、ある程度参加者が揃った段階で『土地探し』をするという仕組み。手順としては純粋な取り組みだが、不動産事業としては場当たり的でリスクの多いもの。実現できる可能性は薄いと思われるが、ドンキホーテはサンチョパンサと一緒に戦いを挑む。

大きな時代の流れを考えると、住まいは購入する時代ではなくなったと考えている。しかし、個性的な住まい方はしたいので、住まいは選びたいし、出来ればコーポラティブ住宅のように間取りも含めて自分で作りたい。出来合のマンションではなく、気に入ったデザインで住みたいと思うのは若い人の気持ち。今更、マンションを買うのではなく自らの持ち家を処分するか賃貸して、その費用で住み続けられる便利な住まいが欲しいという高齢者も多い。

そこで企画しようとしているのが、スケルトン賃貸の仕組み。若い世帯にはインテリアを自分の費用で作り、スケルトンを賃貸する。高齢者には地主が内装も含めて標準的な住宅を提供する。基本的にはスケルトン賃貸は定期借家で10年くらいを契約期間として、退去するときには家主が購入するか、撤去するかを選定する。だから内装は家主が購入しても良いように作ることで、高く購入される可能性が出てくるし、個性的に作れば住んでいる間に使い切ればいい。共に選択の余地はある。

さてさて、まずは人集めと土地探し、どちらも手を抜けないときが来ているように思う。頑張らなくっちゃ。

夫婦がやがて一人になると、終の棲家を求めるようになる。いわば死に場所選びなのだが、実はみんながみんな元気で最後まで生きていく場を探している。心の奥底では何処かで倒れて病院にはいるか、身体的に衰えて、必然的に医者のお世話になり、介護の支援を受け、やがて病床の末に死を迎えるとは判っているのだが、当面は元気で過ごせることを前提に住まいは選ぶ。夫に先立たれて、子供も家に同居しない寡婦は孤立する人生を継続するより、コミュニティのある環境に移りたいと思う。資金的に何とかなれば、コミュニティ豊かなコーポラティブ住宅に入るのは最高の選択。だけど新築を買うほどの余裕がない場合は、自宅を賃貸して入る家賃程度のコミュニティ豊かな生活が営める居場所を見つけたいと思うもの。そこに打って付けなのがコレクティブハウジングである。

先日、多摩市関戸にある賃貸型コレクティブハウスに居住している方からお話しを聴く機会があった。「たま・まちせん」が主催する木曜サロンで講師をお願いして、お住まいのコレクティブハウスをご紹介して頂くという企画で、日常生活の様子や役割分担のあり方、家賃の状況など多岐に渡ってお話しを伺った。以前からコレクティブハウジングについては様々なチャンネルで情報を得ていて、いつかはこうした住まいを実現させたいと思っていたので、非常に情報がありがたかったし、新鮮で刺激になった。

そのコレクティブハウスは全20戸の1人住まいから家族が住むことを予定して建設された25?から50?の住戸が配置されていて、共用のキッチンやダイニング空間を持つ建物である。最寄り駅からも5分程度で、比較的便利でしかも静かな場所に建てられている。現在0歳から60代の家族が共生している状況で、開設以来3年を経過している。

こうした共生の住まいは、高齢者にとっても子育て世帯にとっても有利な面があり、相互に支えあえる環境が生まれる可能性がある。デュークス世帯(共働きで子育てする世帯)やシングルマザー(父親母親を問わず)などの生活支援に、高齢者が子育てに協力している場合や、高齢者の見守りを子供達や若い世帯が担うなど、日常的な生活を通して協力関係が成立する仕組みは、家族未満の関係ではあるが、心の底で支え合える関係が成立する。

考えてみれば、昔のいや、今も残る大家族制のコミュニティは、実は支えられて支える関係が出来上がっていたシステムだというのが衆目の一致するところであろう。あの白川郷の住まいはカイコの飼育もあるが、親戚一同が一緒に住む理由がちゃんとあった時代に普及したもの。いまでは過去の遺産のようにも思われるが、実はこうしたコミュニティの原点を示すものとして今も厳然とした位置を占めている。

世界を見渡すと、中国は福建省の客家族の円楼などは、その代表例。以前尋ねたのだが、もう一度見てみたいという気持ちがむくむく湧き出てきていて、ちょっと情報収集に行ってこようかなと思っている。円高の続く中で・・・それもいいわけかな・・・。

幾つかの家族が寄り添って居住するコミュニティ作りにチャレンジしてきたことで、次なる目標が定まっている。それは賃貸でも分譲でもない第3のマンションである。土地は地主が持っていて、建物を建てる費用を建設組合が出資して調達する。建設組合には地主も居住者も投資家も参加できるが、基本的には居住するしないに係わらず建設する為の組合を形成する。つまり建物の所有は建設組合が共有し、地主から借地するのである。建物の借地期間は30年ないしは35年位を想定して、期限満了の段階で地権者が建物を買い取る仕組み。地権者は30年間、あるいは35年間の間に地代を貯めておき、中古の建物を買い取ることになる。そうすることにより建物の権利が分散されることなく、最終的には地権者の責任で処分も含め対応することが出来る。そしてコミュニティは基本的には建物の利用料を支払いつつ共生する環境を維持することになる。

基本は所有と利用を分離して企画に参加するメンバーを募集して、その企画にあった地権者と協議してコラボレーションするものである。従って敷地ありきではなく参加者ありきで事が進むことになる。土地ありきの場合、多くのケースで地代が固定され、地権者の迷いを払拭させるために高い賃料設定に成りがちである。そこで、利用者、つまり土地のユーザー集団が地権者と交渉することで適切な地代を設定して、さらに地権者とのパートナーシップも育てようと言う主旨である。時代は右肩上がりの地価ではなく、むしろ地価そのものに信頼性がおけない時代に入っている。地権者にとっても土地は持っていても利用しなければ固定資産税や相続税の心配をしなければ成らず、かといってアパートを建てても入居者が保障できない時代。それが入居者組合や建物組合の設立で確実に地代が入ることと、特約付き定期借地で、将来的には居住者も含め賃貸住宅としての資産が確保できるという条件での土地提供はメリットがある。

事業計画については定借のコーポラティブの実績がある専門家に協力してもらい、定期借地全般についてもその道の第一人者にお願いすることも出来るので初期的な事業計画はしっかりと体系付けておくことが必要である。こちらの体制も組み立てて対応することになるが、まずは内部で固めるために、チーム内で立ち上げの検討を行おう。基本的には参加者集めから進めるために広報活動が主になる。

基本は集まって住みたいと思う人々を集結させることが出来なければ始まらない。そこがスタートだから、自分が住みたいと思うような企画が必要になる。それを少しずつ進めている。一人二人と増え始めて、10人くらい集まると地主との交渉に入るつもりだ。『駅近がいい』『静かな場所がいい』『安全な地区が良い』希望は重なるが、基本は『一緒に住む』だ。

ありきたりの住まいではない、心の中で求めている住まいがあるはずだと思っていて「安気な住まい」のあり方をみんなで話し合う会を主催し始めて半年ほどに成るだろうか。少しずつ人が増えている。

人と人が知り合って、共に住まう環境が欲しいと思っている人は多いはず。でも住まいはそうは行かない。住んでみると隣戸との関係が上手くいかなかったり、周りが空き家だらけだと困ってしまう。人は独りでは生きていけないという原則がある。少なくとも私はそう思っている。だから人は家族をつくる。妻がいて子供がいて親がいて孫がいて親族という関係がある。そう嘗ては大家族が普通だった。それが核家族になり、今は核分裂を起こしている。

単身者が増えている。高齢化して単身になるケースは多くなっているが、それだけではなく、結婚しないで単身の生活を送る人も増えてきた。男性も女性も40歳を越えた当たりから焦り始める。女性にとっては子供を産む年齢を超えると次の人生を考え始めるという。江戸城では30歳を越えると大奥から出されたようだが、今は自らが人生を選択する時代になっている。結婚を焦ることから詐欺的な結婚サイトもあるようで、人心を惑わせる邪な輩も跋扈している。いやな時代である。

女性だけではなく男性も女性と知り合うチャンスが無くて、合コンなどで知り合うことが多くなった。考えてみれば、男女が知り合うチャンスなど殆どないのが社会生活で、身近には限られた異性しかいないので、不倫がはびこったりDVなども生まれやすい。もっと自由に知り合うという機会は無いだろうかと思う。こうした懸念に対して、最近、男女を問わないシェアハウスが広がっている。キッチンやリビングを共有するシェアハウスで、若い世代が住み合う関係を成立させている。日本では、最初は海外からの旅行者などが短期間に住み合うシェアハウスが生まれていたが、それが日本に短期定住する男女を問わない単身者が共通の屋根を生活の場にするタイプとして広がっていた。

こうしたシェアハウスはアメリカでは学生などには当たり前の住まい方で、次第に日本にも広がっているようだ。最近の男性も女性も草食派が増えて来て、男女が共に住むという環境に馴染めるようになっているとのこと。とりわけ戸建て住宅が余ってくると、こうした使い方も増えそうに思う。こうなると普段着で男女がつきあえる環境が生まれる。私の若い頃は学生運動賑やかなとき。「同志愛」などという言葉で結ばれた男女がいたが、理由などはいらない。本当に気心の知れた仲間と共に暮らす。そんなスタイルが良いのかもしれない。

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