夫婦がやがて一人になると、終の棲家を求めるようになる。いわば死に場所選びなのだが、実はみんながみんな元気で最後まで生きていく場を探している。心の奥底では何処かで倒れて病院にはいるか、身体的に衰えて、必然的に医者のお世話になり、介護の支援を受け、やがて病床の末に死を迎えるとは判っているのだが、当面は元気で過ごせることを前提に住まいは選ぶ。夫に先立たれて、子供も家に同居しない寡婦は孤立する人生を継続するより、コミュニティのある環境に移りたいと思う。資金的に何とかなれば、コミュニティ豊かなコーポラティブ住宅に入るのは最高の選択。だけど新築を買うほどの余裕がない場合は、自宅を賃貸して入る家賃程度のコミュニティ豊かな生活が営める居場所を見つけたいと思うもの。そこに打って付けなのがコレクティブハウジングである。
先日、多摩市関戸にある賃貸型コレクティブハウスに居住している方からお話しを聴く機会があった。「たま・まちせん」が主催する木曜サロンで講師をお願いして、お住まいのコレクティブハウスをご紹介して頂くという企画で、日常生活の様子や役割分担のあり方、家賃の状況など多岐に渡ってお話しを伺った。以前からコレクティブハウジングについては様々なチャンネルで情報を得ていて、いつかはこうした住まいを実現させたいと思っていたので、非常に情報がありがたかったし、新鮮で刺激になった。
そのコレクティブハウスは全20戸の1人住まいから家族が住むことを予定して建設された25?から50?の住戸が配置されていて、共用のキッチンやダイニング空間を持つ建物である。最寄り駅からも5分程度で、比較的便利でしかも静かな場所に建てられている。現在0歳から60代の家族が共生している状況で、開設以来3年を経過している。
こうした共生の住まいは、高齢者にとっても子育て世帯にとっても有利な面があり、相互に支えあえる環境が生まれる可能性がある。デュークス世帯(共働きで子育てする世帯)やシングルマザー(父親母親を問わず)などの生活支援に、高齢者が子育てに協力している場合や、高齢者の見守りを子供達や若い世帯が担うなど、日常的な生活を通して協力関係が成立する仕組みは、家族未満の関係ではあるが、心の底で支え合える関係が成立する。
考えてみれば、昔のいや、今も残る大家族制のコミュニティは、実は支えられて支える関係が出来上がっていたシステムだというのが衆目の一致するところであろう。あの白川郷の住まいはカイコの飼育もあるが、親戚一同が一緒に住む理由がちゃんとあった時代に普及したもの。いまでは過去の遺産のようにも思われるが、実はこうしたコミュニティの原点を示すものとして今も厳然とした位置を占めている。
世界を見渡すと、中国は福建省の客家族の円楼などは、その代表例。以前尋ねたのだが、もう一度見てみたいという気持ちがむくむく湧き出てきていて、ちょっと情報収集に行ってこようかなと思っている。円高の続く中で・・・それもいいわけかな・・・。
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