安気な住まい:田舎に帰りたいか

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clip_image002東京への人口の流入は、だいたいオイルショック当たりで終わっていて、その後はズルズル動いているのだが、首都圏というくくりで見ても同様な動きに成っている。そして今後の動きはというと、全国的な人口減少の割には東京の人口は安定していて増加傾向は今後も多少残るものの停滞し、概ね今後10年後には減少期に入ることが予測されている。一方、大阪はすでに下がり始めていて、今後の上昇は考えられない。それほど日本全体の人口は減少するという流れだから人口減少が当たり前の社会になると思えば何も心配することはない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という日本社会である。実は世界の常識では「赤信号みんなで渡れば交通事故」なんだから、なんて日本人は安心社会に住んでいるのかと思うとホッとする。だから、地方に住み移っても危険は無いし何処にいても同じ公共サービスが受けられるという特典がある。だから沖縄に人は集まる。

私の育った街は香川県丸亀市と多度津町。それに高校時代は坂出高校に通った。母親の実家が高松だから、夏休みに親戚に行くのは高松だった。何れにしろ讃岐で高校までは過ごしている。その田舎が今どうなっているか、これからどうなっていくかが気にかかる。そこで人口社会問題研究所のホームページを訪ねてみる。すると以外や以外、余り人口が減っていない。とりわけ城下町の丸亀市、それも大手門からの通り沿いで育った記憶の熱い丸亀市の人口がなだからな推移を見せていることに安堵すらする。今後も丸亀は捨てたものじゃないと・・・。では、実家のある多度津はというと、確かに全体は減少しているが街としての2万人は立派なもの。私の設計した上質(自分で言うのもナンですが)な公営住宅もあるものだから、少しは人口定着に役だっていると嬉しい。

讃岐には独特の方言がある。それも西と東では言葉そのものが違う。店で買い物をするときには高松では、『ください』を『いた?』といい、丸亀では『つか?』という。テレビ文化が進んだことから、今ではそれほど感じられないとは思うが、出身地の壁は少しある。だからこそ、出身地に戻りたいという意識は高くなると思う。東京で結婚して子育てを終えた未亡人が、東京にも拠点を持ちつつ育った田舎と行き来する姿がある。リストラで早期退職した男性が家族を東京に残して、実家に戻り母親と畑仕事に性を出すという姿も普通にあるようだ。特に田舎に畑や実家があるお上りさんには、良いタイミングかもしれない。

私の場合は実家には兄の子供が住んでいるので戻れないが、畑などの耕地を持っていて、晴耕雨読の生活が保証されている場合は選択の余地は大きいと思う。できれば夫婦でと思うのは甘えん坊の夫の意見かも知れないが、子育てが終わったり、インターネットなどを使える環境が整っていれば、田舎の生活も豊かなはず。そういえば高知県の馬路村はゆずで名を上げた。香川だって・・・。

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このページは、秋元孝夫が2012年7月20日 22:37に書いたブログ記事です。

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