石川啄木が『ふるさとの訛りなつかし 停車場の人込みの中に そを聞きに行く』と「お上りさん」の心境を詠ったが、今では「お下りさん」が話題になる時代。啄木は明治の人(1885年(明治18年)生まれ)だから、上京して後100年の上野駅に東北から上野駅を目指した就職組は相当な数。その人々がやがて家族を持ち定住していく流れになった。1923年(大正12年)関東大震災で被災して、一時的に分散するものの集中は続き、そしてオイルショックの1970年台まで増加が続く。その後、40年間は横ばいといって良い。
私が上京したのは1967年(昭和42年)だが、最後の「お上りさん」世代、つまり団塊世代でピークを迎え、その後は安定した。とりわけ戦後の朝鮮特需で始まった神武景気、それに引き連れて益々上京する人々は増え続け、地方では「三ちゃん農業」、都会では「鍵っ子」が社会現象化して、東京オリンピックで江戸時代の運河が高速道路になり、中流意識が広がり核家族化が主流になるが、いざなぎ景気は日本万博ころから停滞し始め1973年(昭和48年)の第一次オイルショックでピリオドを打つ。それが大都市への人口集中の終焉だった。
それからの人口動向は一進一退を繰り返していて、最近は地価の下落から都心回帰が叫ばれて、その様相も見えるが、基本的には人口推移は安定していると考えるべきだろう。
すでに大阪の人口推移は下落が始まっていて、都心部の再生などを講じる施策が取られて入るが、過密すぎる都会はやがて飽和状態から均衡ある土地利用を目指して進むし、集まりすぎた人口は、その環境条件に合うようにバランスを求め始めるのが生物的な原理。だから今後の日本全体の人口減少を受けて、東京も大阪もそれに見合った人口集積の均衡を生み出していく。それがどう進んでいくのかが興味のある所。とりわけ地方出身者には「田舎に戻る人がどれほどいるのか」「東京圏から離れる人がどれほどなのか」気がかりというか、自らも東京と桐生市を結ぶコミュニティ連結の仕組みを模索しているものだから、どうしても気になってくる。
戦後の人口推移を国が解説している。首都圏人口の伸びは2010年で3.3%増となっている。もちろん全国ベースではこれから減少し始めるのだから伸びも0%となっているが、今後、日本の中で東京が占める役割をもう少し厳密に検討しなければ、今後の真の動きは見えなくなるとも思う。とりわけ多摩ニュータウン地域の人口動向など、首都圏人口の動向の中でのさらなる役割を見出してこその想定である。すでに右肩上がりではない状況を真摯に受け止めた政策是正が必要な時代であることは確か。そんな中、あなたはどうする。第二の人生を何処で過ごすかは大きな課題。
2012年7月21日の朝日新聞朝刊に『日本人は国外脱出増える?』というタイトルがあった。企業の海外移動が日本人の海外組を増やしているようだが、人が求められる環境が海外に移れば、あの『停車場』は、シンガポールか上海などの空港になるのかもしれない。