2012年4月アーカイブ

友人に何人か独身女性がいるが、定職に付き経済的に余裕がある暮らしの人はマンションを購入しているケースが多いようだ。生涯、独りを貫くつもりは無くても当面が独りならば、安心して住める環境を確保しようとセキュリティのあるマンション住まいを求めるのは当然といえば当然。オートロックのあるマンション住まいが普通になるようだ。男一人の場合はUR賃貸でもいいのだか、女性の場合は、若いうちは民間のセキュリティのある賃貸で、収入が伴ってくるとオートロックの分譲マンションを購入することとなる。

しかし、会社人間を通している間は会社関係の付き合いも含めて単身同士の友人関係が保たれるが、次第に家族の都合で共に行動できなくなると、ふと寂しさも感じるようになる。まあ単身女性だけに限ったことではないのだが、女性の場合はより頻繁に仲間を欲しがるようになるようだ。だから集まって住むという企画には共鳴するところが多い。生物的に群れを離れてボス猿の椅子を狙っているのはオスだし、団地に引きこもるのも男。女は何かと外に出てきて、あれこれと関わりを持つ。だから知人も増えて、無作為の友人も増える。

男尊女卑の教育や社会の中で育ってきたのだから、必然的に女性は誰かに頼ることを是として生きてきた文化がある。親に頼って生きてきて、結婚で亭主に頼って、亭主の親の面倒を診ることまでして忠義を果たして、ようやく亭主を見送ると、今後は子供を頼るようになるという流れ。しかし、男は自立することを強要され、誰かに頼ることを恥ずべきだと教育される。人の上に立つことを是と教おられているから、群れを成しての生活がどこかぎこちない。学生寮や男子寮でも、どこかに上下関係が存在して、それが社会秩序となっていなければ居心地の悪いことになる。

新しい環境に飛び込んできても、「昔の手柄」を口走る。大概決まったパターンが飛び出してきて、出会いの最初に互いに披露しあっているうちは良いのだが、一方的な話になるとコミュニケーションも崩れてしまう。男というのは難儀なもの。やはり男のわがままを受け止める女性がいてこそコミュニティに溶けこむことができるのかもしれない。肩書きを言う男は嫌われることがわかっているのだから、これからは次第に女的に変身した男が現れるかもしれない。リストラで早期退職してガードマンやっている人は、自分の昔を語りたがらないかもしれないし、派遣社員で人生を送った人も同じだろう。

男も女も次第に年齢が高じると共に隔たりも薄くなるが、互いに役割が見えていれば一緒に住むという選択もありかもしれない。男子寮と女子寮が隣り合わせてあるようなもので、その間に共同の食堂やリビングが設えられている住まい。そんな男女共有の住まいができると、入ってくれるかな?

『男おひとりさまの道』上野千鶴子著は、男の不器用さを解いた本として評価をしているのだが、私の周りの男は意外と呑気にしている。団塊世代は退職したものの再就職で各地に飛んでいる。突然、音信不通だった友人から電話があり、「今、大阪にいる。○○の電話番号が分からんので教えてくれ」という。電話の主は東京で働いていたはずなのだが、退職後、大阪の会社に再就職して、そろそろ任期が終わるので、大阪にいる旧友と飲もうと考えたとのこと。実は○○は大阪で定年退職したが、東京の会社に呼ばれて数ヶ月前から単身で東京に来ていたのだ。そのことを伝えて、連絡先の携帯電話番号を教えたが、それっきり何も言ってこない。

学生時代の友人だし、結婚式には呼ばれたり呼んだりした下宿繋がりの仲間だが、社会に出てからは意外と合わない。でも何かの切っ掛けに思い出して、機会を作ろうとする。思いつきも甚だしくて、その時、うまく連絡がとれなければそれでいい。思いついた時の隙間を埋めるために友人と会うということなので、何か代用があればそれで満足するという軽い関係。決してその友人がいなければ人生が進まないということもなくなっているのが私の周り。

思えば、私には無二の親友という者がいない。遊び仲間はいるのだが、真に心の中を見せ合うような友人はいない。中高生ならば、そんな親友を求めていたこともあり、武者小路実篤の「友情」などを読み、現実の友人と比較してみたりもしたのだが、大学時代にはすでにそうした思いは薄くなり、その都度遭遇した友人が、その時の友となって過ごしている。考えてみれば当たり前の事のようにも思う。人生とは遠い親戚より近くの隣人が心の安定を保つ道具になる。一言二言の会話でも、自らの心のポジションを保つためには価値がある。

ドイツを一人旅した時に、電車で偶然知り合った日本人と喋りこんでしまい、下車予定の駅をすっかり通り過ぎてしまったことがある。心の平穏は一人では保てないし、少しの会話でも繰り返すことで安定することになる。毎日のふれあいがもたらす心の安定は、実は日常に触れ合う人々とのコミュニケーションがもたらしているのだという自覚があれば、人生は楽しくなる。いやな愚痴話でも聞いてやろうというもの。

実は男はどこかで「安気な住まい」を何かを求めている。男を孤立させないで、元気に生かせて最後はコロリと彼の世に行くというシナリオ。ピンピンコロリの理想を求めてみたい。最後には脳卒中かガンで、長期にわたる身体障害者か、苦しんでガンで死ぬかしかないということはわかっていても、できれば格好良く前のめりに死んでみたいと思うのが男の憧れ。できないとはわかっていても、最後に思い出したように昔の友人の名前が浮かび、電話番号を知らないことに気づいて、友人に電話するなんてこともあるかもしれない。

核家族世帯とは、夫婦のみの世帯、夫婦と未婚の子のみの世帯、ひとり親と未婚の子のみの世帯の3つをいうが、国勢調査では「ひとり親と未婚の子」の数字は引き算で出すことになる。そこで都営住宅の諏訪4丁目とUR賃貸の永山4丁目にひとり親世帯がどれほどいるのかを計算してみた。すると諏訪4丁目では核家族の内33.1%が一人親世帯ということがわかった。同様に永山4丁目では19.8%という結果であり、多摩市全体の比率14.4%と比較すると都営住宅にはひとり親世帯が特に集中していることがわかる。加えて都営住宅が集中している愛宕3丁目と貝取3丁目も見てみると、やはりひとり親世帯が集中している。

この場合、子育て中の親子もいるが、高齢の子供に高齢の母親というケースもあり、必ずしも若い世代とは限らない。また外国国籍の家族もあり、一般的に賃貸住宅に住み続けるひとり親世帯の最後の住まいが公営住宅であることも見え隠れする。

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賃貸に住みながら子育て中の、ひとり親世帯の場合は、その親からの持家住宅の継承の可能性もあるが、親と同居の子が高齢者の世帯ではその可能性がないので、基本的には一人親世帯から高齢単身世帯への移行になる。都営住宅の場合は「単独世帯」の数は60歳以上の人であり、単身となったとしても殆どが高齢者として区分されることとなる。また、親がなくなって単身となった場合、60歳に満たないからといってすぐに退去は迫れないので、結局は高齢の親を持つ子は単身になった時に「単独世帯」として定住することになる。

一方、UR賃貸住宅では入居条件として一定の所得が必要であるため、高齢者親子の入居ではなく子育て世帯の入居が一般的になる。出来る限り子育てするための精神的な負担のない環境を選ぶと、公的賃貸住宅の環境が残ってくる。「ある程度の収入があれば都営住宅には入れないし、抽選で入るには子育て環境を確保するには子供の成長に間に合わなくなる。かといって家を買うという資金的な裏付けがない場合は、たちまち賃貸となる。その場合、敷金礼金、更新料のいらないUR賃貸は借りやすい。」という流れになるのが一般的。

「ひとり親世帯」と一括りにできないのが家族の姿。自らや親族の経済力、共同して生活するコミュニティの力、家族に備わった環境条件の違いに因って選択は変わる。その中で一人ひとりが模索している。そして選ぶことができる環境要素として「安気な住まい」も選択肢になるだろう。

「持ち家住宅に対する施策」とは新規供給と中古の流動化である。多摩市の場合は基本的に後者に力を入れる必要がある。とりわけ計画的に分譲された戸建て団地がすでに50年を越えた桜ヶ丘地区や30年を経過した聖ヶ丘地区など成熟した、あるいはしつつある戸建て住宅団地があり、こうした戸建て住宅に滞留する高齢者の存在が課題になっている。住み続けることが何れ困難になるか、すでに困難ではあるが、適した住まいが見いだせないでいるという現実が、住まいのローテーションを留まらせている。高齢者が終の住まいを容易に見いだせれば、現在の住まいは若い世代にバトンを渡せる。しかし、現実には高齢者の終の住まいがあまりに少ない。求められるものではない施設型の住まいや、コミュニティの育たないマンションなどの一律の供給しか無いことが住まいの循環を閉鎖的なものにしている。

そこにコーポラティブ住宅やコレクティブ住宅などのコミュニティ豊かな住まいの姿がある。高齢化しても安心して住み続けることが出来る住まい。ひとりになっても見守りのある暮らしがある。共に共鳴し在って育てるコミュニティがまずあり、その後に住まいがあるという仕組み。気のあったもの同士が共に暮らす住まいの姿。それがコーポラティブ住宅である。持ち家でも賃貸でも良い住まいの形は、未来が未知数のひとり親世帯や単身高齢者にも当てはまる。無理をして高額なものを買わない仕組みは家が余ってくるこれからの住まいとしては広がりを見せるはず。

戸建て住宅でも集合住宅でも、バリアフリーの住まいで共に暮らすことを目的とした住宅で、住まいの循環を図ることを推進しよう。これからの住まいはコミュニティがキーワードになる。世代を問わないコミュニティが相互を支える助けになる。今「永山ハウス」では子育て世帯と熟年世帯、単身世帯がそれぞれ1/3ずつ居住している。特に決めて掛かったものではなく、自然に世代がミックスしてコミュニティが出来上がった。相互に立場の違いはあるが、緩やかなつながりの中で生活が営まれている。こうした協働する住宅を目指そうではないか。

そこで第2の「永山ハウス」を目指して「あんきな会」を開催してコミュニティを育てている。仲間が出来れば家を考えるという、ゆっくりした取り組みである。こうした動きを大切にしたい。

とりわけ高齢単身世帯の希望は、健康維持と見守りだ。こうしたコミュニティにはコレクティブ住宅が良い。10人くらいが集まった一つの家族を形成する。相互に見守りながら共同炊事など、共に支え合う関係をつくる住み方だ。大きな家族と言えば言えるし、地権者と協働事業で建設したり、既存施設を改造してコレクティブ住宅にアレンジする方法もある。賃貸なので住みにくくなったら、その時は出ればいい。この場合、多摩ニュータウンの中に複数のコミュニティが育っていれば、お気に入りのコミュニティに選んで入ることができる。だから出来る限り多くのコレクティブ住宅を地域に作りたいというのが私の考え方。行政も応援して地権者との共同事業を支援する方法が在っても良い。

多摩市の家族構成が急速に変わりつつある。「夫婦と子供」という基本単位から「単独世帯」が主役に躍り出た。「夫婦のみ世帯」も急速に延びていて「女親と子供世帯」も着実に増えている。従来の核家族が核分裂を起こし始めているようにも見える。ここに来て「夫婦と子供」の下落傾向は止まったのは最近のマンションブームの影響だ。学生も多摩市に住むのではなく実家から通ったり都心近くに拠点を移して「単独世帯」が減少に転じた。相変わらず子供が独立していくと「夫婦のみ世帯」は増えていく。今後、何処まで延びていくのか。そして一人親世帯の行き先はと考えていくと、多摩市の家族像が急変しているのが見えてくる。

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これは多摩ニュータウンに7割が住んでいる多摩市の動きである。だから核家族が分裂して分解していく姿が見えている。子育てを終えると「夫婦のみ」になり、やがて「単独世帯」へと移行する。単身高齢者の顕在化が進んでいる。

一方、女性の自立が叫ばれ、女性のキャリアママが働く環境も整っている多摩ニュータウンでは、公的賃貸住宅の環境もあることから母子世帯は住みやすい。着実に「女親と子共」世帯が増えている。また「夫婦と子供」世帯の数がここに来て減少傾向を止めたのは、多摩センターや聖蹟桜ヶ丘駅周辺で大量に供給されたマンションの影響で持ち家を取得したい子育て世帯が転入した影響がある。いずれその供給が終わると下降線を辿るかもしれない。高齢単身世帯の増加は続いているのに「単独世帯」が一時休止に成ったのは、若者の都心回帰が原因のようだ。多摩市の家賃より割安なアパートが新宿寄りで供給され始めたと聞く。家賃が安くなった。「敷金礼金0、半年間は家賃半額」という募集も目立ち始めた。多摩市内でも家賃低下は当たり前になっている。以前の半額が常識化している。

今後の賃貸市場の開拓はどうすればいいだろう。核家族の中でも「夫婦と子供世帯」は持ち家だし「夫婦のみ世帯」も子供の独立で夫婦のみになったのだから、持ち家世帯のはず。ここで思案すべきは「女親と子供世帯」そして特に高齢者の「単独世帯」の増加に対する住まいの提供。母子世帯の経済力はまだまだ持ち家を入手するにはきつい。だから公的賃貸住宅に集中するのだが、孤立した生活を支えるサポートは欲しいところ。同様に高齢者の「単独世帯」も助けが欲しい。だから、一緒に住むという選択はある。持ち家で住むのではなく、やはり借家が住みやすい。これにはコーポラティブ住宅やコレクティブ住宅という共に住める住まいが望ましい。

ここでの主役は女性だ。男はどうも、こういうコミュニティには登場しない。「男親と子供」のケースも増えているが、家庭内コミュニティの維持が不安に思ってしまう。私がその立場ならば自信がない。再婚でもすればいいと思うのは老婆心の勝手な考え。思い切ってコミュニティに飛び込めばいいと思う。40過ぎて単身の人生を決め込んだ女性も参加できそうだ。一人一人の役割が生まれそうで、個性的な家族が揃いそう。互いに尊重し合う新しい家族像。そんな繋がりが多摩市の家族類型に加わればいい。その場合は「非親族世帯」に振り分けられることになるのかな?

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