安気な住まい:『男おひとりさまの道』上野千鶴子著

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『男おひとりさまの道』上野千鶴子著は、男の不器用さを解いた本として評価をしているのだが、私の周りの男は意外と呑気にしている。団塊世代は退職したものの再就職で各地に飛んでいる。突然、音信不通だった友人から電話があり、「今、大阪にいる。○○の電話番号が分からんので教えてくれ」という。電話の主は東京で働いていたはずなのだが、退職後、大阪の会社に再就職して、そろそろ任期が終わるので、大阪にいる旧友と飲もうと考えたとのこと。実は○○は大阪で定年退職したが、東京の会社に呼ばれて数ヶ月前から単身で東京に来ていたのだ。そのことを伝えて、連絡先の携帯電話番号を教えたが、それっきり何も言ってこない。

学生時代の友人だし、結婚式には呼ばれたり呼んだりした下宿繋がりの仲間だが、社会に出てからは意外と合わない。でも何かの切っ掛けに思い出して、機会を作ろうとする。思いつきも甚だしくて、その時、うまく連絡がとれなければそれでいい。思いついた時の隙間を埋めるために友人と会うということなので、何か代用があればそれで満足するという軽い関係。決してその友人がいなければ人生が進まないということもなくなっているのが私の周り。

思えば、私には無二の親友という者がいない。遊び仲間はいるのだが、真に心の中を見せ合うような友人はいない。中高生ならば、そんな親友を求めていたこともあり、武者小路実篤の「友情」などを読み、現実の友人と比較してみたりもしたのだが、大学時代にはすでにそうした思いは薄くなり、その都度遭遇した友人が、その時の友となって過ごしている。考えてみれば当たり前の事のようにも思う。人生とは遠い親戚より近くの隣人が心の安定を保つ道具になる。一言二言の会話でも、自らの心のポジションを保つためには価値がある。

ドイツを一人旅した時に、電車で偶然知り合った日本人と喋りこんでしまい、下車予定の駅をすっかり通り過ぎてしまったことがある。心の平穏は一人では保てないし、少しの会話でも繰り返すことで安定することになる。毎日のふれあいがもたらす心の安定は、実は日常に触れ合う人々とのコミュニケーションがもたらしているのだという自覚があれば、人生は楽しくなる。いやな愚痴話でも聞いてやろうというもの。

実は男はどこかで「安気な住まい」を何かを求めている。男を孤立させないで、元気に生かせて最後はコロリと彼の世に行くというシナリオ。ピンピンコロリの理想を求めてみたい。最後には脳卒中かガンで、長期にわたる身体障害者か、苦しんでガンで死ぬかしかないということはわかっていても、できれば格好良く前のめりに死んでみたいと思うのが男の憧れ。できないとはわかっていても、最後に思い出したように昔の友人の名前が浮かび、電話番号を知らないことに気づいて、友人に電話するなんてこともあるかもしれない。

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このページは、秋元孝夫が2012年4月21日 04:59に書いたブログ記事です。

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