『自然体で生きる』とはどうするのか。言葉として説明しにくいのではあるが、何となく納得してしまう言葉である。物事に逆らわず、ありのままの自分で居るという意味だと思うが、その「ありのまま」が解らない。『私は何、私の本性って何』すら解らない自分に有りの儘の生き方なんて出来るはずもないのに『自然体で生きる』と言うと人は何となく納得する。元々人間の自然な姿とはどういうものなのか、衣服を着た動物だから着飾ることもあるし、様々なシチュエーションでTPOも違ってくる。だから「着こなし」と言いながらお洒落を楽しんだり、他人と差を付けようとする場合だってある。それがその人の本姓で有れば自然体という解釈になるのかどうか・・・良くわからない。
私たちは自家用車を選ぶときに、財布と利用目的とデザインについて考える。財布というのは経済力で、支払える範囲のものを原則にするが、時々デザインに惚れて財布のキャパを超える買い物をする人も登場する。これは住まいと一緒で、払いきれなくて中古で処分してもローンが残るケースにならないように気を付けるべきだが、往々にして車好きはハードルを越えてしまうケースも有りそうだ。意外と目的はせいぜいデートくらいで、日頃は自宅で雨ざらしになるしかないのに、拘って買うとしっぺ返しが怖い。若い頃はとかく背伸びをしたいもの。見栄っ張りだとついつい手を出してしまうが、私の場合はもう60歳を過ぎた。そろそろ背伸びをしないで生きようと思っている。しかし、そろそろ車検だと思うと次の車に関心を持つ。ディーラーも其処のところを心得ていてタイミングを見計らってカタログが届く。今度のカタログは電気自動車だった。
省エネだとか自然エネルギー利用などを進めたい私には電気自動車は一つの解答ではある。しかし今の電気は自然に優しくない。原子力発電も火力発電も自然に優しくない電気を作っていて、その電気を使うことを前提とした電気自動車は自然に優しい自動車ではない。むしろガソリンを効率よく利用するハイブリットの方が今のところ自然に優しい車だと思える。とりわけ現状の発電会社の価格構成は、高給取りの給与体系をで、天下りや関連会社の給与や会社の資産なども含めて電気代に換算されている訳だから決して安くない。世界でも上位に位置する高級電気が日本の電気である。わざわざ自動車の蓄電池の為に高級な電気など必要ないのだから、もっと荒っぽく発電したエンジンから生まれた電気で充分。それがハイブリッド自動車だと考えている。
もし、何らかの自然作用から水素が潤沢に蓄積されるようになれば、水素自動車が普及するようになる可能性がある。私にとっての自然エネルギー利用の自動車は水素で走る自動車を待ちたいと思う。水素さえ上手い循環で生み出せば、燃やして水になるなんてのは理想的な循環。どなたか開発をお願いしたいのですが・・・
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