安気な住まい:財布が解放されるとき

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年金制度もない時代、旧家で姑から嫁に財布が渡されるとき、初めて世代交代が行われたと見なした時代が合ったのだが、今はサラリーマン家庭が台頭しているので、親も年金収入があり子供の世帯と同様に財布を握っているのが常。だから同居などしている場合には生活資金を相互に負担して、いわゆるワリカン勘定で維持していると思われる。これも私としては経験もないし想像でものを言うことをお許し頂きたい。

農業を中心とした社会では、就労の限界を感じたときに若い世代に仕事の全てを依存して、親は引退を決め込むか後背に引き、子の経済で生活を支えるようになれば自ずと一家の財布は子世帯に移譲することになる。社会福祉が整わない間はそれが必要だったし社会システムでもあったわけだ。しかし、今は年金制度に問題があるとはいえ、現状の高齢者は年金生活と生活保護で生活をしている現実があり、その子供達も親の生活を支えるという無理な負担もなく自立して過ごせるという社会になっている。従って親子が一緒に住む必然性は無くなっている。強いて言えば「孫が側にいてくれると楽しい」という舅、姑の我が儘につき合うということがあるかも知れないが、各々が自立して生きることが出来る世の中になっている。

それでも同居を望む親子がある。夫婦共に働いている世帯などで、子育てに親の手助けが欲しいという理由と、一戸建てを購入するのに資金援助を無心するお返しとして同居を迫る子世帯の姿が見え隠れする。実際、そうした誘導を目的とした住宅が分譲されていて、とりわけ単身の親の場合は当然のように仕組まれる。親の資産を売却して頭金を調達して余裕のある住まいを購入する。すると何時かは若夫婦のものとなり、一段上の生活が確保できるという算段。購入当時は資金の出し方で持ち分割合を設定するが、建物にしてしまえば資産評価は少なくなり相続税も減額される。しかし、居住レベルの上昇は保ったままでの見送りである。子供が独立した部屋をそのままに取って置くなどの気持ちはさらさらなく、早々に夫婦別床の目的がかなったと、夫は親が使っていた部屋に追い込まれ、妻はようやく独立することが出来る。その時に親の財布は子に託され、さらに嫁に受け継がれたことになる。嫁は自立して趣味を拡大して、夫は「わしも賊」として妻の後を追いかける。

ここまで言い切っては申し訳ないが、何時かは妻と子に持って行かれる財産であることを承知で亭主は生きる道を築かなければならない。サラリーマンが終わった後に残る人生は長い。生きようによっては楽しくもあり悲しくもあり、悲喜こもごもの人生を有意義に過ごしたいと思うのは共通の課題。少なくとも排除されない生き甲斐を見いだすことに注力を掛けたい。何時までも孫子の世話になるなどを考えるのではなく、自力で社会に関わるすべを見つけ、尊敬される祖父像を作り上げたいものである。

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このページは、秋元孝夫が2012年1月19日 04:32に書いたブログ記事です。

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