団塊世代に取っては、いや私かも知れないが1966年(S.41)森山良子『今日の日はさようなら』の歌詞、『明日の日を夢見て希望の道を』のフレーズは今も新鮮に聞こえる。そして1967年相良直美『世界は二人のために』は受験戦争から解放された私には希望の歌として聞こえた時代がある。当時、私は18歳。一方、1968年から1969年は学園紛争の真っ直中。大学は閉鎖され、自らも「激しい時代」の証人として立ち会っていた。政治不信になるとニヒリズムも台頭してくる中、国に対する信頼が無くなれば「夢も希望もなくなる」のでニヒリズムに走る。三島由紀夫も切腹という武士道を貫いた死に様を見せつけられたのだが、時代はそれを超えていく。当時の学生運動を先導していた世代が社会の中核になってバブル経済を演出して、崩壊させた。そしてその団塊世代は自らの付けを払うように、経済的な苦痛から逃れるために自殺を図っていく。
不幸な日本の保険制度に「団体信用生命保険(だんしん)制度」がある。民間の住宅ローンなどに必ず付いている補償制度である。保障内容は『借受人が貸付金の償還中に死亡、高度障害状態、障害共済年金1級に該当することの認定を受けた場合に、残存債務(未償還元利金)の一切を借受人に代わって保険会社が共済組合に返済。これにより、借受人の債務は消滅。』という返済義務を免れる仕組みが盛り込まれていて、借り手にとって安心な保険制度とも読みとれるが、実は銀行を保護する仕組み。被保険者のトラブルが有っても保証協会が返済金を担保してくれているというありがたい制度なのだ。
日本と違ってアメリカなどはサブプライムローンで返済できなくなって家は取られても、借金は残らないシステムになっている。所が日本の場合は家を手放しても借金は残るシステムで、結局、借金から逃れるためには亭主が自殺するに限るのである。それも密かにではなく、目立って死ぬことで保険が適用され、住宅ローンはチャラになり、家族はローンを抱えることなく購入した住宅に住み続けることが出来るというシナリオになっている。何とも惨めな制度であろうか。
その制度、日本の住宅ローンが個人に対する融資であるリコースローンと、不動産価値に対する住宅ローンであるノンリコースローンの違い。日本の場合は不動産に担保は付けられているものの不動産価値が下がった場合の差額は融資を受けた個人が支払うというもので、結局その差額を個人が負担できない場合は「だんしん」が補うということになる。100%融資などの実態があるのだから、最初から自殺を誘導しているという言い方も出来なくはない。
その保険には支払いが出来ない条件として「保障の開始日から1年を経過する前に自殺したとき」とあり、暗に自殺を誘導している節があり、何とも哀れな保険である。「亭主元気で留守がいい」ではなく「亭主死んでも安心居住」等というギャグが出てきそうな実態である。可哀想なのは亭主なり。そろそろ生き続けられる制度に改めたい。生き続けることでの喜びはたらふくあるので、制度により死を迫る現行の住宅ローンを改めたい。その為に有効な住まい作りを進めたい。
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