安気な住まい:何処に住むか、誰と住むか

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亭主の退職を機会に熟年離婚を決め込もうかと考えている女性も多いだろう。実際、統計的にも増加傾向が見られるのは2004年の年金改革で分割が可能になったことが誘因になっているという。しかし、根底には働く亭主を中心としてピラミッド型に構築された社会保障の流れが、個人に分割されて行く過程であり、従来の家族のあり方が多様化する傾向を示していることに他ならない。

そうなると妻は誰と住むか。ここからは想像であるが、新しい男と共に住むという選択は薄い。長く共に暮らしている記憶もあり一人では住めない。むしろ男に疲れての離婚だから、親しい女友達同士で住み合うという選択肢になるだろう。女同士、気兼ねなく過ごしたい。子育てをして資産を残してきた人生は終了した。その後は気軽に趣味に生きたいと思う女性は多い。そんな時に亭主の存在は邪魔であり、目標を失って家でゴロゴロする亭主には嫌気がさす。食事の世話もこりごりだし「亭主元気で留守が良い」と思っているのに家に居着かれるとかなわない。これまでの天国が地獄に早変わり、次第に亭主への愚痴が多くなり恨み辛みが復活して離縁状を叩き付けることになる。そして新たなコミュニティに参加して妻は消えていく。

実はその後の亭主が気になる。三行半を叩き付けられた男の心境は堪らないものだろう。自分を責めるか、妻を恨むか、自立する精神も乱されるに違いにない。酒に溺れるか自虐的な人生が始まるに違いない。夫婦間も社会であり、退職勧告を受けた亭主はその役割を奪われて生きる場を失っていく。運命的として捉えるにしては人間関係での終末的な結果である。なかなか納得できない日々が悶々とするに違いない。子供達は母親に付き、寄りつかなくなる。孤独と孤立が襲ってきて自制心が保たれない。いつの間にか反社会的な行為もして、自らの社会的な位置を確かめたり危険を冒して自虐的な行為に走るようになる。良くあるのが万引き。お金が合ってもスリルを楽しむようになる。言葉を交わさない毎日は認知症を発生させ精神的にも病んでいく。

男はだらしない。こんな男も集団社会の中では役割を見つけていく。嘗て会社であったような組織的な環境では落ち着きを見せる。だからシルバー人材センターは老後の男の生き甲斐となる。我々のNPOで「困助事業」を展開している。リタイアした専門家と住まいを守る為のニーズをマッチングさせる仕組みで、水道の水漏れ修理に嘗て得た杵柄の人を送り込む。垣根が壊れたら修理の出来る人を手配し、ペンキ仕事には昔ペンキ屋だった人に繋ぐ。住まいの維持管理に関するニーズに対する人の斡旋事業で、注文も多い。そこでは小さな収入だが働くことが出来、男性の役割が見いだせる。誰かの役に立つことが社会である。家族の役割分担が終了した後には地域の役割分担が復活する。離婚した妻も「困助」に頼むことになるだろう。その時、生活を支える機能として男の役割が発生して地域のあんしん居住が実現する。男は些細なことでも誰かの役に立っていないと生きられない動物なのだ。きっと貧乏性なのかもしれないな?

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このページは、秋元孝夫が2012年1月 5日 06:38に書いたブログ記事です。

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