安気な住まい:高齢者の心理というか自分の心

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『穏やかな人はますます穏やかに』『勝ち気の人はますます気が強くなり』『泣き虫の人はさらに泣き上戸になる』人の成長と共に精神が精鋭化するという仮設を立ててみた。子育てから開放され、年金により経済的な不安から開放され、仕事という社会的な義務から脱却して、好んでするスポーツやボランティアに生き甲斐を持つようになると、人は精神的にも解放され心に秘めていたことが尖ってくる。幾つかの我慢が取れていき、行きたいという方向に舵取りが出来ると、遠慮無く前に進むことが可能になる。自由にそして心おきなく進むことが可能になる。

私にとっても『安気な住まい』を創ることは希望でもあるし願いでもある。こうした住まいづくりに気兼ねなく邁進できる環境があることはこの上ない喜びである。活動拠点としての「永山ハウス」があり、共に奨めようとする仲間がいる。その環境がありがたい。兎に角、コーポラティブ住宅事業を推進したいと模索した50歳、今ひとつ完成度の高い住まいづくりを目指した56歳、そして心の安定を目指した62歳のチャレンジである。

人は幾度となく人生の高見とどん底を知ることになる。その振幅が大きければ大きいほど物事に動じない精神と、事を進めるための自身が育つ。しかし、自らの力を本人が自覚することは無い。弱点もあり自惚れもあるのが人間であり、その本質は見えない。そう思いつつチャレンジを繰り返す。今回のチャレンジで成功は未知数だし、ただ進めてみることにつきる。自らを見定めることで高齢者の心理を探ろうとしたが、今後、さらに精神の先鋭化が進めば、どのような展開になるのか予想が付かない。出来るだけ穏やかでいたいが、果たして諸条件の変化が身に及ぶ影響は多大だと思うので安気にはしていられないと思う。

私の願いは『高齢化したら幸せでいたい』ということである。年寄りになっての不孝は免れたい。育てた子や孫の不孝にも遭いたくないし、自らの不運も嘆きたくない。おれおれ詐欺に騙されたくもないし交通事故にも遭いたくない。世間に顔が見せられないような恥もかきたくない。どこかで保守的になるのかもしれないが、考え方は先鋭化するのだから意見だけははっきりと言うようになるだろう。私の場合はそうである。だから、若いときには言えなかった歯に衣着せぬ物言いを心がけようと思っている。たとえ一部の人には反駁を食らおうとも、自らが正しいと思う言葉を発しようと思う。

そこで、ブログなどを活用して世間に意見具申することになる。様々な立場で物言いを行うことが出来るようにもなってきた。幾つかの講演会にも呼んで貰えるし、教壇に立つこともしている。教えると言うより伝えるというポジションで、多摩ニュータウンをベースにしたまちづくりや省エネに関する事業展開の実例を紹介したり、パッシブな住宅設備の共同研究にも取り組んでいる。こうした場が与えられ、前に向いていることに満足しているし、チャレンジできる場があることに感謝。

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このページは、秋元孝夫が2011年12月15日 04:10に書いたブログ記事です。

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