犬や猫を飼う人が増えている中で、動物と共に暮らすマンションが流行っていた。今では動物と共生できることが普通のルールになって、特別扱いのマンションは減っていったように思うが、動物が嫌いだという人が実は困っている。
動物と共に暮らせるというコンセプトは動物嫌いを排除する結果になり、それも困ったもので、動物好きと嫌いな人との反駁が顕在化すると不穏な空気がコミュニティに漂う。折角のコミュニティが動物飼育で崩壊するなどあってはならないことだとは思うのだが、そう簡単ではないのが『生理的に受け入れられない』という言葉。男女ともに存在する感性の一つだから受け止めるしかないのだが、さてどうする。
そもそも孤独を癒す手段としてペットを飼い初めて、新しい家族を求めて共に暮らすようになった仲間の中で、嫌いなペットと共に暮らさなければならなくなった新家族は戸惑う。共に動物好きであれば良いのだが、嫌悪感を抱く動物と一緒に過ごすのは堪らないというと『嫌い』が高じて飼い主も嫌うことに繋がってしまう。やがてこれは『恨み』にもなってくる可能性があり、こうしたトラブルを未然に防ぐには、こうした状態を放置する訳にはいかない。やはり同居している家族が調整を執らなければならないとすれば、小さな家族や住まいでは逃げ場がなく難しい。だから最低でも10人くらいの家族、その規模の住まいの形態が必要で、基本はお互いに触れあうことのない環境にすることが最も良い。しかし、部屋が隣り合わせていたりすれば逃げようがないので、さらに工夫が必要だ。
実のところ私はペットの価値が良く分からない。犬や猫が嫌いではないのだが、飼おうとは思わない。他の人が飼うことを否定しているのではないが、私自身は責任が持てないと言う理由で飼えないと判断している。しかし、親族を含めてペットと同居している生活には接してはいるが、日常的にペットと居ることの心構えが出来ないで居る。だから本当の所、ペット好きの心が理解できない。子供の頃、犬を拾ってきて母に内緒で近くの空き地で餌を与えていた。隣家でウサギを飼い始めたので手伝った。ウサギ小屋には20匹を越えるウサギが居た。犬のお産があり子犬の飼育も手伝った。自宅で飼えたのはハツカネズミと卵を産む鶏と小鳥の飼育だけだ。ハツカネズミは増えすぎたので処分させられた記憶が残る。もしかすると子供の頃の体験がペットの飼育に歯止めを掛けているのかもしれない。
自身では子供の頃の出来事が言い表せないトラウマになっているということを否定はしないが、今、飼い始めてしまえば愛玩しそうな気もするし、しかしその後の責任が背負えないと言うジレンマが越えられないハードルになっているようである・・・。何れにしても動物との同居を嫌う人も居ることを認めよう。なんだか逆になっているような・・・。
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