安気な住まい:共に暮らす仲間募集

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考えてみれば秋元建築研究所のホームページで「自分達の家造りを通して持続可能な住み続けられる街をつくりたい」としてみんなで作ろう会賛同者募集を提案したのが1999年で、2004年に14世帯の戸建て風コーポラティブ住宅、2009年に23世帯の集合住宅型コーポラティブ住宅と時間は掛かったが実現してきた。その間、一緒に住まい作りに参加する仲間が増え、実現に漕ぎ着けてきた。 

住まいは自らが作るし、仲間で作る物だという意識が芽生えてきたのはこうした出来事が根幹にある。『住まいは人が主である』とした個人住宅の宣伝文句は一時を凌駕した感があるが『住まいは「人々」が主である』とすべきで、コミュニティ無くて人の住まいはあり得ない。そして『人々』とは『継続』することであり、後世に継承するものになる。人の一生の中で住まいは幾度か変遷する。アパート時代から家族を作り、そして一人となり次世代に繋ぐ。その変化に伴い住まいも変わってくる。

また、家族の構成員としての「人」の最初は家族に見守られて育つが、やがて社会に出始めて新たに家族を求めて放蕩する。そしてパートナーを見つけて新たな家族形成を始め、子育てが終わると夫婦のみの長い時を過ごして、やがて一人の生活を迎える。その時にまた、新しい家族を捜す。最近は単身で職場と友人との関係の中で心の家族を維持して過ごす人々も増えてきた。シェアハウスを好む世代も生まれてきて、家族の形も変化している。親子関係ではなく親しい友人という関係でなくても、近隣関係の仲間で過ごす心地よさが尊重されるコミュニティが成立している。これまでの家族は恋愛感情が先に有ったが、新しい家族は『好感度家族』という関係が成立しそうだ。

人間関係は『嫌い』という印象が無ければ『好き』になると思われる性癖がある。恋愛感情にも似ているのだが、感情的に穏やかな状態で接していると自ずと心の平安をもたらす相手とそうでない相手が区分される。そして何気なく『嫌ではない人』同士が一緒になり行動を共にするようになる。それが友人であり、新しい家族の始まりだと思う。最近とみに家族間で憎み合って殺人事件などを起こす事件が絶え間ない。『親族としての家族』が崩れている現象だ。家族が一体ではなく個別に生き始めた結果生じる現象であり、家族が運命的な一体性を必要とした時代から個々に個性的な生き方が出来る経済力と環境を整えてきたが故に、家族の結束が必要なくなった結末だろう。すでに過去のものとなりつつある『積み木くずし』は、すでに現実社会に投影されて定着している。

少なくとも現実社会から脱皮できる糸口が用意されていることが大切。若者であろうと高齢者であろうと、単位は一人だが独りでは生きていけないことを知っている。だからこそ『嫌いではない仲間』が集まった新しい住まいの形『安気な住まい』が求められている。

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このページは、秋元孝夫が2011年12月 7日 14:55に書いたブログ記事です。

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