安気な住まい:コレクティブな住まい

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「コレクティブ(collective) 」 とは「集まった」「共同の」「集合性の」などの意味だから、その後にハウジングが付けば「集合住宅」「共同住宅」に他ならない。「コレクティブハウス」と 言えば北欧で生まれた住まい方。共有のコモンスペースを持ち、キッチンや食堂、リビングやテラスを共有して家事分担して協力して生活するスタイル。それも 「共同住宅」であえて文字通り英語化すると「アパートメント (apartment)」という訳になる。

人 と人が集まって住むことの親密さ度合いによって家族のスタイルが異なってくる。親族による家族の基本単位は「夫婦」なのか「親子」なのか、法律的にはゼロ 親等が夫婦なので近しい存在だが、「血縁」としては全くの他人であり、離婚すればあっさりと親族ではなくなる。むしろ1親等の「親子」関係が最も関係が深 いことになる。そこには「血縁」としての確実な結びつきがある。ただ、親子も一緒に生活したり苦労を重ねなければ親密な関係にはなれず、姥(うば)に 育てられた子と母の関係は、NHK大河ドラマ「江?姫たちの戦国?」でも親子であっても心が通わなければ家族としての意識が持てないことが表現されてい る。「親子喧嘩」「兄姉喧嘩」「夫婦喧嘩」はコミュニケーションであり、人と人は「喧嘩」を通じて親しくなる。仲良くなるためには自我と自我がぶつかり合 う過程を経て親密になる。親密になることで「家族意識」が育ち、互いに存在価値を意識するようになる。夫婦も兄姉も親子も友人も同僚も全てに於いて関係性 を高めることで親密性を育てて「家族的関係」になっていく。

戦 後、日本企業が終身雇用を推進して大きく延びていった中で「会社人間」が育ち、「家族的な中小企業」が多く生まれた。とりわけ戦後すぐにはみんなが助け 合って育て上げていく企業風土が強かったこともあり、成長に伴う企業への奉仕精神は高揚した。社員達は苦労を厭わず、徹夜も辞さない体制で会社の成長を願 い、自己実現も重ね合わせていた。「会社が家族」であった時代だ。その時代の戦士達は定年後も共通の趣味を持ち、互いに連絡を取り合いながら「社族」とし て一つのコミュニティを形成している。世代的には昭和30年代の成長期を支えた世代で、男性同士の結びつきである。従ってその時代の男性は家庭を顧みない人が多い。

そ の後の世代として、バブル経済を作り自ら崩壊させていった団塊世代のコミュニティは、信じていた会社に裏切られ、いや自らリストラを敢行して自虐的な社会 構造へと導いていった。そこでの会社は家族とは縁遠くなり、リストラ組は一転して親族に期待を持ち始めたが、すでに家族は父親とは心が離れ、別々の生き方 を始めていた。そして父親は孤立した。とドラマ的に記述したが、団塊世代の地域デビューは様々なフォローアップが行政主導で行われたこともあるくらいで、 意外と難しい。また、こうした世代には単身者も多くなっているので、それこそ高齢化した段階でのコミュニティの取り方が難題だ。

そ こに「コレクティブな住まい」が求められているように思っている。近すぎず遠すぎず、程々の距離。それが同一ではなく適度な関係性を保ちながら関わる人々 に均一ではないネットワークを形成する仕組みが欲しい。そこに「新しい家族」の姿が見えてくるように思う。団塊世代はコレクティブ住宅に救われるか・・・

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このページは、秋元孝夫が2011年12月 7日 14:54に書いたブログ記事です。

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