安気な住まい:夢を持てる住まい造り

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『衣食住』とは良く言ったもので、人が生きる為の三要素。『衣』は60歳 を過ぎると、これまでに取りそろえた物でほぼ充足していて、必要に応じて下着などの消耗品を購入することで済んでしまう。体格も変わらないので、毎年のよ うに太めのスーツを取りそろえることもなくなり、アジャスター付きのフォーマルウェアーが夏用と冬用が有ればそれ以上の必要もなく、日常は昔買ったジャ ケットで済ませてしまう。後は痩せていくのだから、次第に昔の服が合ってきて服装だけは若返り、リバイバルよろしくダイエット効果でファッションを楽しむ ことだって出来る。加齢は楽しいということになる。

同 様に『食』も量の方は少なくなり、日常はある程度のメニューでのローテーションが多くなる。炭水化物を少なくして、ダイエットコントロールはしつつも、夏 は素麺やそばといった麺類が多くなるが、冬場は鍋に限ると野菜たっぷりな鍋料理が集中する。たまにはカレーも食べたいなと思って作ることもあるが、作りす ぎるきらいがあり、三食カレーは戴けないと思いつつも食が重なるのがカレー。外食が少なくなっている分、自宅での夕食に期待するが、料理造りに面倒さが重 なり一汁三菜などは無理な話で一汁一菜が普通になる。たまには男料理とばかりサムゲタンやビーフシチューなどを定番メニューにもしているが、大体はそれで 食生活は満足している状況。外食で店を尋ねてと言う意識は次第に少なくなり、内に籠もった食事風景が定着する。

し かし『住』については、年齢が進むにつれて気になり始める。「今のままで良いのだろうか」「終の棲家とはなんだろう」「バリアフリーでなければ」「介護付 きの老人ホームが必要なのでは」「しかしジジババと一緒には住めない」などと自問自答し始めるのが住まいのこと。「折角一戸建てを手に入れたのに子供達が 巣立って、広すぎる庭に手を焼き始めた」「エレベーターのない4階はそろそろきつい」「若いときには単身でも外に出ることで楽しかったが、ずっと一人では 心許ない」「母一人子独りの生活が長くつつく訳ではないが」など住まいと家族のあり方や自らの体力の変化、社会的なポジションなど身辺の変化が生活の場も 含めて住居の選択を余儀なくさせる時期になる。

高 齢化するからといって老人ホームが待っているわけではない。老人ホームを自ら選ぶ人はそう多くはない。むしろ家族に迫られて選択するのが施設居住で、半ば 病院と同じこと。出来れば老若男女入り乱れての社会が望ましい。その環境を得た上で、バリアフリーで単身になっても安心して生活支援や介護環境のある住ま いを確保したいと思うのが普通の考え方。そこで我々が提案するコーポラティブ住宅が登場する。一つのモデルは「永山ハウス」である。1階に在宅医療対応の医者がいて食堂もある共同住宅。マンション管理支援や居住者への連絡などのサービス機能のあるNPOがいて、程良い安心を与えてくれる。

高 齢化しても子育て中でも住まいは夢を持てる物でなければならない。日常的な希望を実現するもの。それが住まいのあり方だと思う。贅沢でなくても良い。心の 平安が保てる住まいを望みたい。それが庶民の希望である。決してハードルが高いわけではない。自ら住まいを造ろうと思った時から実現は近くなる。他力本願 では始まらない。住まいは造る物だと心得ることが基本になる。まずは一歩進むことから始めよう。

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このページは、秋元孝夫が2011年12月 7日 14:52に書いたブログ記事です。

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