2013年2月アーカイブ

多摩ニュータウンの空き家事情を再確認してみると、公的賃貸住宅として供給されている都営住宅では空き家が殆ど発生しないが、UR賃貸や公社賃貸では市場家賃とのバランスが崩れると大量に空き家が発生する。それも臨機応変な対応が緩慢なUR賃貸では半分が空き家という賃貸団地もあり、適切な市場性が生かされていないケースがある。大家がURである場合や都公社である場合には地元の民間事業者では対応できないので、何時まで経っても空き家は埋まらない。相当、思い切って家賃を下げなければ空き家は無くならないのだが相変わらず空き家を温存している。それが現実だ。内装も設備も十分だし管理もしっかりしているのにもかかわらず入居者がいないのは、単に家賃が民間より高いということに他ならない。だから民間の力を借りて空き家を埋めるなどは出来ない。

こうした状況と異なるのは民間の団地やマンションになる。多摩ニュータウンには民間の賃貸住宅はないので、個人が所有している団地内の住戸が賃貸物件となる。子育てのために長期に渡って使用したものが子供が独立して高齢者のみの住まいになっている。特にエレベーターのない団地での居住は生き続けることの出来ない環境にもかかわらず、移動することも出来ずに困難な居住を強いられている。経済的にも移動することも出来ずに、健康だけを維持しようと必死の状況だ。運よく団地の建替が出来ればバリアフリー化も可能だが、現実はそうも行かない。

こうした住み続けることが運命づけられた団地では、住み続けるための覚悟を具現化するために建物の改善に取り組んでいる。サッシの取り替えにより複層ガラスにより断熱性能を上げようと投資をする。外断熱改修を行おうと国の補助事業を確保しようと努力する。合意形成の難しい中で何とか総意を得て改善に取り組む。環境整備を整えようと電線類の地下化を実現した団地もある。全てが住み続けることができる団地であるために共同で努力する。

しかし、個別の住戸の改善はこれからだ。たとえば自らの住まいを賃貸して家賃収入を得ながら、その家賃で高齢者サポートのある賃貸住宅に住み移ることが出来れば安心だ。その為の自分の資産の生かし方を高齢者は知らない。相変わらず80?の住戸に独りで住むことを余儀なくされている高齢者には30?のコレクティブ住宅に住み移ることを奨めたい。そのために現在の住まいを賃貸物件として商品価値のあるようにすることを支援したい。そのためのノウハウは不動産業者にもあるはずなのだが、そこまでの知恵は回らない。ならば私達が応援しよう。

また、中古マンションの売買に際しても内装などの更新はするが、中古市場において、購入者にはむしろ個性的な改装ニーズが発生する。こうしたニーズに対して、現状では不動産業者の関連事業者がサービス提供を行うことになるのが一般的だが、そこには売り手側の一方的な価格設定や価値観の押し付けという買い手側のニーズを十分組み入れられない状況がある。そこで、仲買の不動産業者に対するサポート共に、中古マンションを購入する側の居住性を支援する仕組みが必要になる。それを生み出す中間的な組織が必要になる。

多摩ニュータウンにはこうした内装専門の設計者やコンサルタントが蓄積されている。さらにそれを請け負う工事業者も育っている。従って、それらのニーズとシーズをマッチングさせる事業体があれば、相互の要求を結びつけることができる。そこに地域のビジネスチャンスも生まれるし、地域のストックのグレードアップにも繋がるのである。今後の地域のストック活用のマーケットとして住まいのグレードアップキャンペーンを展開する活動が期待される。

「核家族」をウィキペディアで調べると

? 夫婦とその未婚の子女

? 夫婦のみ

? 父親または母親とその未婚の子女

となっている。つまり親族家族で親と子の単位世帯を言うのだが、日本の現在の家族の主流である。その他の家族の姿としては「三世代世帯」や「非親族世帯」あるいは兄弟などで構成する世帯を言うが、国勢調査などでの調査単為が「家計を一つにしている」ことを前提にしているため、一つ屋根に同居していても家計が異なれば別世帯としてカウントすることから核家族が生み出されているという見方もできるので、同居の実態としては見えにくい。

こうした事情はあるにせよ、統計分類された中で子育てをする世帯は「夫婦と子」と「ひとり親と子」がそれにあたる。グラフで見ると明らかだが、「夫婦と子」の世帯数は2000年に入ってから急速に減っていき、「ひとり親世帯」は着実に伸びている。未来予測では2030年ころには「ひとり親世帯」は安定し始めるが「夫婦と子」世帯はさらに減少する勢いである。これは人口そのものの減少により実質的には「ひとり親と子」世帯が増加しているということにもなる。

子育てするのに夫婦が揃って役割分担をしていると子育てもしやすい面があるが、ひとり親世帯では何かと不便。いやいや夫婦揃っていたって、子育ての苦労は妻に集中してノイローゼになってしまうケースもある。最悪の場合は子殺しでも起こってしまっては後の祭り。そこで、子育てに対して何らかのサポートが求められるように思える。

だから福祉側でも子育て支援は手厚い施策の一つなのだが、どうも全体に平等にという視点が強く、母子家庭を対象に、とりわけ個人的なサポートのない世帯への優しい支援が欠かせない。こうしたひとり親が保育園や児童福祉施設に関連した中にあればサポートも見えるのだが、それを離れて周辺からのサポートを受けられない場合は悲惨になる。自分ではその環境を造れないひとり親を対象にコミュニティづくりをレクチャーする必要があるだろう。

福祉サイドのサポートではなく、居住をベースにしたサポートは無いだろうかと考えると、戦後、間もない頃の戦争未亡人を支えた流れの「母子寮」の伝統がある。保育園などとの併設で近所にもあったが、まだまだ働く女性の少ない時代、子育てを支えるには保育園と連携する母親同士の支え合いが必要という考え方で出来上がった「母子寮」であった。こうした住まいは全国でもあって、子育てが終わって独立した子供は、親を母子寮に残して去っていった。そして、その親がようやく他界して「母子寮」の歴史も消えたようだ。全国の公営住宅の仕事をしていると、こうした住宅に巡りあった。それも概ね昭和の終りとともになくなっていったように思う。

昭和の歴史を取り戻す必要はないが、違う意味で「母子寮」が求められているように思う。ひとり親世帯の増加は、高齢者のみの世帯の増加と合わせ技で、助け合える関係のコミュニティが生まれる可能性を含んでいると思う。これからの住まいの在り方に、そんな関係を模索したい。

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